復活祭を数日後に控えた聖週間の行事にスペインの町々は浮かれたっていた。大寺院のまわりは群衆でうずまり、通りに面した家々の戸口は花で飾られ、ベランダには人が鈴なりであった。三月末に行われるこの行事は、闘牛シーズンの始まりを告げる祭りでもあった。真紅なけしの花とわずかな緑の樹木以外はすべて黄褐色という南部農村地帯は大地主が権力をふるい、農民の生活はみじめだった。貧農の息子たちはそんな生活を嫌って職と夢を求めて北部の都市に出ていった。ミゲル(M・M・ミゲラン)もその一人で、バルセロナに出て来たものの、フランコ独裁政権下の都市労働者の生活は想像以上に悪く、絶えず失業の恐怖におびやかされていた。だから彼はてっとりばやく金が儲かる仕事の闘牛士になろうと決心し、養成所の門をたたいた。老闘牛士ペドルーチョ(P・B・ペドルーチョ)はミゲルの才能を認め熱心に稽古をつけた。彼はめきめき腕を上げ、ついにマドリッドの闘牛場でその腕前を見せる時が来た。スペイン一の興行師ドン・ホセ(J・G・セビラーノ)も観客の中にいた。ミゲルは余裕を持って猛り狂う黒牛を倒した。そして夢にまで見た正式の闘牛士として認められたのだった。それからのミゲルの生活は華美をきわめた。しかし強行スケジュールによる体の疲労がひどく、ある雨の日の試合で初めて敗北を喫した。恐怖に襲われた彼はついに引退を考えたが、興行師はミゲルの傷より契約の破棄を心配し、彼に試合を強行させた。また旅が始まった。しかし自分の意志通りに行かない闘牛士生活に堪えがたい重味を感じはじめていた彼は、ある日、彼の技倆をもってすれば当然さけられるはずの牛の一撃で、その短かい一生を終えたのだった。