一九六五年四月十八日、日曜日早朝。スペインとフランスの国境で通過の順番を待っている男ディエゴ(Y・モンタン)の顔には、不安と苦い思いとがありありと見える。彼は四十歳。少年時代にスペイン内乱をさけてパリに移り住んだが、それ以来二十五年間、反フランコ運動に加わっている革命運動家である。国境警察員から訊問を受けたディエゴは“ルネ・サランシュ”名義の旅券を見せた。警察員は裏付けをとるため“ルネ・サランシュ”の自宅に電話をかけたが、彼の娘ナディーヌ(G・ビョルド)が、うまく答えてくれたので無事国境を通過できた。国境の駅に向ったディエゴは、連絡員から仲間のホアンがマドリッドに向け出発したことを知った。その頃マドリッドでは、反フランコ派の一斉検挙が始まっており、ディエゴの役目は、仲間のマドリッド入りを阻止することにあった。しかし、彼は、ホアンを救いにスペインにもどることより、一刻も早くパリの仲間たちに、この状況を伝える道をとった。パリに着いたディエゴは、すぐホアンの居場所をつきとめた。そして彼に電話連絡しようとしたが仲間のひとりに反対され、この件は明日の会議の決定を待ってから、ということになった。その後ディエゴはナディーヌのアパートを訪れ、国境での急場を救ってくれた礼をのべた。親子ほど年の違う二人だったが、同じ秘密を持つ故か、心の通じあうものがあった。二人は結ばれた。四月十九日、月曜日。久しぶりに、わが家へ帰ったディエゴ。待ちわびていた妻のマリアンヌ(I・チューリン)とすごせる時間もあまりない。彼は出発を急ぐ。幸福の幻影が、わが家に残るのを恐れるかのように……。スペインと革命運動家たち--この二つがディエゴの人生そのものであることを理解した妻は、一緒に出発する決心をした。数時間後、ディエゴをまじえて最高会議が開かれた。その結果、ひとり国境を越えてきたディエゴの行動は軽率だと批判され、休養を命じられた。しかし、家へ帰ってみると、情勢急変のため、明日バルセロナに出発せよ、という命令がはいっていた。何の説明もなく急変の指令を発する革命運動の指導者たちに、ディエゴはやり場のない怒りを感じるのだった。四月二十日、火曜日。朝、ディエゴはナディーヌたちのグループと会った。彼らは〈革命的行動〉というレーニン集団だと名のり、ディエゴたちの行動を修正主義だと鋭く批判した。彼らのあまりに子供らしい意見に、二十五年間も運動に従事しているディエゴは怒りを感じ、昨日、彼らから爆弾だといわれてあずかったものはプラスチック製だったと告げて、ひとり立ち去った。彼は再び車でスペインに向った。その頃すでに警察では彼の正体をつきとめていた。彼を再びパリに戻すべく、マリアンヌがオルリー空港からバルセロナに向って飛びたっていった。