毎年夏が訪れると世津子は泊集落の雛千代の墓を訪れる。今年もまた、世津子は墓の前で、雛千代の思い出にふけった。--世津子の家は「柾木家」の屋号で娼家を営んでいた。父吉太郎が小肥りで、色白な倉本かね子を連れて来たのは法事で泊に帰った時であった。この女が雛千代であった。廓という特殊な世界に、生来の明るさを失わず、自ら身を沈めて柾木家につくす様子は、吉太郎、女将まさに当然のように可変いがられた。そして、中でも一番雛千代に惹かれていたのは世津子だった。八歳の夏、雛千代に連れられ泊の里を訪れた世津子は、この集落に、集落から出ていった者は必ず帰って来るという“まいまいこんこ”の風習があることを教えられた。閑静な寂しい集落のこの話は、世津子の脳裏に強く残った。昭和十六年、吉太郎の亡くなった柾木家に、世津子の兄忠吉が除隊され帰って来た。陰気で人を寄せつけない忠吉に、雛千代は何かと勤め、世話を惜しまなかった。昭和二十一年公娼廃止により柾木家も転業を迫られたが、遊女志願はあとを断たなかった。不節操な戦後派の女たちを、快よく迎えた雛千代と世津子だったが、女たちは、その好意を足げにして、柾木家を去っていった。そんな時、忠吉が母親まきと口論の末、「柾木家」に放火した。警察に捕われた忠吉を、雛千代は励まし続けた。この頃世津子は、京都女専卒業をひかえ、希望の教員の夢は断れた。誰よりもそれを夢みていた雛千代の失望は大きかった。やがて柾木家は復旧され、再開されたがその頃雛千代は病気で倒れた。BGになった世津子が枕元に訪れる間もなく、雛千代は息をひきとった。そして世津子に見守られて遺体は「まいまいこんこ」で葬られた。--今、墓の前で、世津子の耳に波音に交って、雛千代の声が聞こえてるようだった。