大菩薩峠の頂上で、一人の老巡礼が何の理由もなく殺された。斬ったのは、黒の紋服に“放れ駒”の紋が印象的な深編笠の男机竜之助だ。この老人といっしょにいた孫娘お松は、折りから通りかかった盗賊、裏宿の七兵衛に救われた。竜之助は、帰宅して間もなく、宇津木文之丞の妻お浜の訪問をうけた。お浜の夫、文之丞はかつて竜之助と同門で剣を学んだ仲だが、御嶽神社の奉納試合で、竜之助と立ち合うことになっていた。竜之助の父、弾正も、残忍なまでに殺気のみなぎる竜之助の“音なしの構え”を恐れ、文之丞に勝ちをゆずるように説き、お浜もそれを懇願した。しかし虚無的な影を深くやどした竜之助は、無理矢理お浜の操をうばったうえ、文之丞を殴殺し、お浜と共に江戸へ出奔した。それから二年。吉田竜太郎と名を変えた竜之肋は芝飯倉の長屋の一隅にお浜と子供の郁太郎と共に暮していた。そうしたある日、竜之助は、直心影流、島田虎之助の道場で、見事な剣さはきでひときわ目立つ若い剣士、宇津木兵馬を知り、他流試合を申し込んだ。この兵馬は竜之助が以前殴殺した文之丞の弟であった。兵馬は、ふとしたことから江戸でお松を知り、共に竜之助を討つために腕をみがいていたのだった。一方竜之助は、金のために新徴組に加わり邪剣をふるっていたが、ある日島田虎之助に出くわし、その豪剣と、偉大な人間性にうたれた。竜之助の激しい心の動揺をよみとった虎之助は、兵馬に必殺の突きを武器に、相打ちを覚悟で竜之助に立ち向うことをすすめ、竜之助に果し状を送った。一方、いまでは夫婦とは名ばかりで、互いに憎悪し合う破綻の生活を送っていたお浜も、ついに竜之助のあまりの冷酷さにたえきれず、竜之助を刺そうとしたが、逆に竜之助の狂刃に倒れた。文久三年春--京都新選組が生まれた。島原の槌屋では、近藤、土方、斎藤などの隊士が集り、芹沢暗殺と共に、手あたり次弟に狂刃をふるう竜之助の命を奪う密謀をしていた。一方、芹沢も竜之助を誘い、兵馬の首とひきかえに近藤暗殺をそそのかした。が、ちょうど話を立聞していたお松は、芹沢につかまり、竜之助にあずけられた。そこで竜之助は、お松から大菩薩峠での悪夢のような昔話を聞かされた。竜之助は、ここで初めて、お松が自分が殺した老巡礼の娘であることを知り、煩悩になやまされ、狂ったように白刃を振りまわした。そこへ新選組が乱入した。地獄絵図の中全身に手傷をうけたまま逃げのびた竜之助は、とおりすがりの老爺に助けられ、木津街道を一人どこまでもどこまでも歩いていくのだった。