会津藩の高倉長右衛門と東郷茂兵衛は無二の親友だ。長右衛門は召使のすがを恋していた。長右衛門が彼女に愛を告白できぬうちに、すがは茂兵衛の弟又八郎と恋仲になってしまった。寛永二十年--藩主加藤明成は老臣堀主水との確執で、家中不統一のかどと所領没収、家名断絶の処断を受けた。城中大広間で善後策を相談中、長右衛門と茂兵衛は口論となり、遂に真剣勝負で決着をつけることになった。長右衛門は何もいわずにすがに暇を出した。又八郎はすがと城下から姿を消し豪雨の中の死闘、長右衛門は顔面真一文字に刀傷を受けながらも茂兵衛を倒した。彼は又八郎を訪ねたが立去った後だった。それから三年--江戸に住みついた又八郎とすがの間に又市という子供が生れ、茂兵衛の仇討ちの機会を狙っていた。二人のことを知らぬ長右衛門も江戸に上った。ある日、日本橋で又八郎は長右衛門をみつけた。二人は対決した。が技量は長右衛門がまさっていた。互に傷つき倒れたが、長右衛門は止めを刺さず、後日を約して別れた。又八郎は病に倒れ仇討もかなわぬ身となった。夫の身替りにとすがは思ったものの敬慕するかつての主人には刃向えなかった。ある夜、すがは長右衛門宅に忍び入った。不意討ちのその太刀筋に彼はすがと知って愕然とした。が、誤ってすがはおのが命を絶った。すがの遺書をみつけた又八郎は又市をつれてかけつけた。が、又市のことを頼んで息絶えた。運命の皮肉さに長右衛門の胸はつぶれるおもいだった。泣き叫ぶ又市を涙ながらに、子守唄をうたい、あやすのだった。