会津藩白虎隊の少年たちも、夢多き青春の感傷を捨てて、銃や刀槍をとらねばならぬときがきた。明治元年八月、薩長を中心とする全国十一藩の連合軍が、今や怒涛の勢を以て、旧幕府最後の砦たる会津国境へ殺到してきたのである。藩校日新館も閉校となり、欧洲留学を夢見る池上仙吉をいたく悲しませた。彼の言葉は激情家の津川志津馬を激昂させ、あわや刃傷沙汰にも及びかけたが、篠原準之助の仲裁によりさっぱりと和解した。準之助は仙吉の妹百合と婚約の間柄であり、又仙吉も鐘楼守中五平の娘おさよと恋仲であった。その間戦機は切迫し、準之助の兄の戦死の報がもたらされ彼は愈々覚悟を固めるのだった。やがて相手の軍は潮の如く領内へ雪崩れこみ、会津城の本営では十五六歳から六十歳までの男子に総登場の命が下った。悲壮な決意を抱いて出陣して行く白虎隊の少年たち、百合やおさよの歎きも今はこの出陣を止めるべくもない。だが新兵器の威力にものを云わせる敵軍は続々と殺到し、遂に婦女子にまで危害が及んだ。流弾雨飛の篠原家では準之助と百合の仮祝言が行われたが、仲間はどんどん倒れて行った。飽く迄生きのびようとすがりつくおさよを振りきって、仙吉も戦場へ走り去るのであった。そしておさよは健気にもふみ留り、恋人のため、会津のため、城の無事を告げる鐘を鳴らしていた。だがやがて鐘の音も絶え、城は落ちた。今や準之助達残った白虎隊士は、飯盛山上に集りすべて自決して果てたのであった。