天正十年、近江安土城による信長は、国内を半ば平定し、海外雄飛を考えていた。彼が寵愛の小姓蘭丸は、明智光秀の拠る宇佐山城の前城主の子供で、かつて光秀が父を見殺しにした事を恨んでいた。信長の愛妾おふじの方の侍女おたきと蘭丸は互に心を惹かれたが、信長もまた一夜彼女に夜伽を命ずる。然し反抗するおたきを見ると、彼は何事もなく手をひいた。蘭丸を嫉む虎丸等小姓達は竹丸の制止も聞かず、彼の命を狙ったが、蘭丸はおたきに助けられ二人は初めて愛情を告白した。そのころ蘭丸は光秀が心正しく情に厚い武将であるのを知って恨みは晴れた。信長は蘭丸の将来を思っておたきに城を下らせた。徳川家康の接待役を仰せつかった光秀は急な暖気のため魚が腐り、怒った信長から近江丹波の五十四万石を取上げられた。信長の本心は光秀の正しい心と勇気を認めながら、気が合わぬため憎しみの態度だけを示すのだった。折から毛利征伐の羽柴秀吉から援軍の依頼があり兵を整えて信長は京都へ出た。おたきも蘭丸を慕って京都に現われたが、光秀は出陣の直前、防備のない本能寺に泊る信長を襲った。信長は自害し、蘭丸は安田作兵衛の槍につかれた。加茂川のほとりで血まみれの蘭丸はおたきに発見され、息絶えた蘭丸の上に重って、おたきの体も動かなくなった。