野溝トミコは東京の真中を走るバスの見習車掌である。美空ひばりと瓜二つだが、鼻の横に大きなホクロがあるので「びばりちゃん」と呼ばれ、営業所の人気者である。このびばりちゃんに二つの悩みがあった。一つはひばりとは似ても似つかぬ大音痴、も一つはお父さんが家にいないことだ。そのお父さんも今は一緒に逃げた女給に捨てられ、小さな周旋屋を開いているが、お母さんとは意地の張りっこで元の鞘には納まりそうもない。ある日、びばりちゃんはバスの中でひょっこりお父さんに逢った。営業所へ帰ってからの身体検査で、びばりちゃんのポケットから千円紙幣が一枚出て来た。てっきりお父さんの仕業と睨んだびばりらゃんは証しをたてて貰うため、住居を訪ねてお父さんに帰ってくれと頼むが、きいてくれない。やがて、一人前の車掌になったびばりちゃんは、同僚クルミちゃんのはからいで本物の美空ひばりに会えることになった。撮影所のセットで「糸屋の娘」を踊っていたひばりは、「生れつきの音痴なんてないのよ」と励ましてくれた。その言葉で自信をとりもどしたのであろうか、びばりちゃんは上手に歌えるようになった。それからというもの、びばりちゃんは人生が楽しくてならない。お父さんとお母さんは仲直りしてくれたし、毎日、びばりちゃんのバスに乗って仲良しになった大学生が、一人前の会社員になって刷り立ての名刺をくれたのである。その中谷一博と十五分だけ駅のプラットフォームで会うことが出来、十五円づつ出し合って飲んだミルクコーヒーの甘さが、いつまでもびばりちゃんの舌に残っているのだった。