時は大正の中頃。某大学の仏文学教授水沢信次が、四人の子供を残して妻に先立たれてから早七年は過ぎた。彼は子供達を夫々親戚に預けていたが、男手一つでも養えぬことはあるまいと決心がついたのはこの春、外遊から帰った折。水沢は下船した足で義妹しづ江を訪れ、太郎と次郎を引取る。彼は芝愛宕下で下宿桜館の離れを借りる。友人の出版屋誠心堂主人石井から“フランス文学大辞典”の仕事を依頼されても、僕のライフワークは子供だ、と断わる彼。だが家事に追われて休講が多く、遂に水沢は辞職して辞典の仕事を引受けた。月々の生活費は石井がみるという。ある日、世話になる雑誌社から東海道方面の講演依頼を断りきれず、二人の子供と出かけた水沢は、毎夜のように太郎の寝小便で悩まされたが、自然子供の世界にも近づく。翌年の春彼は末子を迎え、飯倉片町に二階家を一軒借り、お徳という婆やも雇った。復職の話を持込んだ八代教授に、信州から三男三郎も引取るつもりの水沢は好意を辞退。毎月キチンと金を持ってくる石井に酬いるため、彼は辞典に没頭するが父母両役を兼ねる彼の仕事は渋滞するばかり。だが自分と似た癖を持つ子らに彼は時折、頬のゆるむのを感じる。三郎を迎え入れたのは翌年の夏、十年も親許を離れていた三郎は容易になつかない。水沢は田舎っぽい三郎をふびんがるが、一人ぽっちの三郎はふとした折、父に叱られ、始めて「父さんッ」としがみつく。これからは皆と同じに叱る、と初めて打解けた父子に貰い泣きするお徳。七年は過ぎ、太郎は故郷の家を継ぎ、次郎と三郎は画学校へ、末子は女学校に上った。辞典の仕事はまだ終らないが今年こそ完成と彼の意気は高い、桃の節句も近い日、末子に洋服を作ってやった水沢が型が古いといわれショゲてる処に、次郎が発禁本を持っていたと呼び出し状。事は無事に収ったが子供達の個性が強く根張ってきたのを水沢は感じる。次郎は洋画、三郎は父の意志で日本画を習ったが、先生の言では三郎のセンスは洋画だという。見込違いでショックを受けた水沢は二カ月も寝込む。画作に悩む次郎は父のすすめで信濃の太郎の許に数年移り住むことになる。一方、三郎は先生とフランス行を切望、淋しげな水沢も、次郎に内証で発たせてやる。子供達を送り出して張りつめた気持も急にゆるむ水沢。慰さめるお徳に、しかし彼は、子供が大きくなれば親の許を離れるのは当然だが、心はいつも一つと語りつつ、雨上りの空に掛る虹の橋を眼を輝かして眺めるのだった。