昭和十九年--戦時生産力拡充を名として大東財閥は中小企業の合併を強行して来た。その強圧策に抗しかね民需肥料工場主金子は息子茂に後事を託して世を去った。茂は反財閥論者となっていたので、財閥の傀儡となってしまった軍需工場に踏み止まりたくなかったが、老職長安藤達労働者のため止まることを決意した。大東財閥の独裁者小谷理事長は、日本の勝敗に拘らず財閥社会支配力の強化政策をとっていた。花園子爵はある野心を持って化学部門を支配する傍ら、豪壮なクラブを経営して軍官財閥の指導者を集めて奢侈歓楽の醜行為を平然と行っていた。みどりとはるみはそのクラブに働いていた。享楽主義のみどりは言い寄る男から男へ上手に泳いでいる。クラブの表面的経営者であるはるみは花園に操られてクラブ内で入手した情報を花園に提供していた。銀行経営者であったはるみの父は以前小谷の政略のために破産自殺したのであるが、真実の父は小谷であることを薄々感じていた。事実を識っている花園は、はるみと結婚することによって大東財閥の勢力を自己に転換されることを夢見ていた。工場には、軍人達が重要位置につき茂の工場長は名のみである。低賃銀で搾取酷使される徴用工の代表大塚は財閥に反抗していたが、彼には安藤の一人娘たえ子という恋人があった。工場への圧迫策に憤怒した茂はクラブへ乗り込んだが、はるみに阻止された。ある日、工場の機械が破損した。工場幹部はそれも顧みず強行作業を命令した。大塚は反抗して憲兵のために傷ついた。大塚を見舞った茂と二人は民衆の敵撲滅の誓いを交わした。敗戦の兆しが明らかになると小谷は花園を戦争強硬派として誘発の責任を転嫁しようとした。花園はその裏面工作にはるみを利用した。はるみは空襲中たえ子に救われた。礼を述べにはるみが工場を訪れたその時、茂は財閥の暴露演説をしようとして憲兵に拘引されて行く時であった。一夜の空襲で大東財閥の工場地帯は壊滅した。そして八月十五日は来た。茂は釈放された。小谷ははるみと親娘の名乗りをした後、戦争犯罪者として拘留されて行った。はるみは肉親の小谷と卑怯を憎み、花園の愛も退けて茂の懐へ飛び込んで行ったが、彼女が工場で見たものは機会修理のため、茂、大塚、安藤、たえ子達が心命を賭して修理に挺身する崇高な姿であった。