ある村に杉本左平太さんという人がいた。彼は村一番の先祖伝来の家屋敷や、田地を持っていたが、旧家のどっしりとした構えの中で朝湯、朝酒で日を暮し杉本左平太こと、小原庄助さんの名を甘んじて村人から受けていた。村人は彼の昔からの地位と財産を当てに、寄附金を次から次へと願い出た。通称小原庄助さんは心からこれらの人々に彼の財産を惜しむことなく振り向けていた。しかしながらいくらばく大な財産家でも、この様な生活はそう長く続くはずはない。小原庄助さんも少しずつ金融業の支配人紺野青造氏から融通してもらっていた。彼が来るたびに庄助さんはお茶代りに酒を振るまっていた。もちろん彼も朝からお茶変りに酒を飲んでいた。妻のおのぶも良人の気持が分らないまでも彼の言う通りになっていた。昔から杉本家に奉公していたおせき婆だけがやかましかった。村の和尚も庄助さんの遊び友達であった。いわゆるお茶代りの酒にあずかる人々が、彼のしんしょうを気にしながら「もっともだ、もっともだ……」とつぶやいていた。それでいて村人は何にか事あるごとに彼に相談にやってきた。彼もよろこんでほねを折ってやっていた。とある日庄助さんは村長さんが辞職するので後任村長にぜひ立っていただきたいと村民からたのまれてしまった。一方村の文化を主唱する吉田次郎正さんも立候補することになりしぶしぶ受諾した庄助さんと選挙戦を展開することになった。庄助さんは紙芝居で敵味方の間を運動して歩いた。その結果庄助さんが最初優勢であったが、時の動きにはかなわぬと見えて遂に吉田の次郎正さんが当選してしまった。おせき婆は泣いてしまった。だが庄助さんはいよいよ来るところまできたと言って、自分の財産を村人に公表することになった、村人達は三日も続く公売をあかずにながめていた。親族の者たちはあきれかえった。妻のおのぶの兄もあきれかえっておのぶを引きとろうとしていた。ところがすっかり売りつくした日強盗が庄助さんの処へ入った。庄助さんは「遅かったよ。今少し早ければ間に合ったのに」と今まで家柄にすわっていた自分をあざける様に、これからが本当の出直しだと言った。やがて杉本家の門に「小原庄助さん、何んでしんしょうツブした朝寝朝酒……」の文句をはりつけて、旅姿でわが家を後にした。その後を追う女がいた、それは女房のおのぶであった。左平太夫婦は駅に向っていそいで肩を並べて行った。