第二次世界大戦中、シンガポールが日本軍の手にあったとき、この町へ新出して、料亭を経営していた高野左衛子という女性は、その美貌と辣腕とをもって軍部のあいだに顔を利かせていた。そうしたある日、海軍参謀の牛木大佐が、左衛子をマラッカのある華僑の家へ連れて行って、守屋恭吾という男に紹介した。恭吾は、牛木と海軍で同期生であったが、海外にあるとき上官や同僚の汚職を自分が一人でひっかぶって姿を消し、長年海外の放浪を続けていた男であった。牛木大佐は間もなく軍の作戦でシンガポールを去ったが、ある日、シンガポールの町で、恭吾と左衛子は再び会い、空襲のあった夜を、ホテルの一室で過ごした。左衛子はその一夜で深く恭吾を愛したが、恭吾は再び逢うことを拒み、その上左衛子が秘かにダイヤモンドを買いあさっていることなどを、それとなく皮肉に指摘されたことの口惜しさも手伝って、不審人物として恭吾の跡をつけ回っている憲兵曹長に、恭吾を売ってしまった。終戦後、再び左衛子は東京にその麗姿を現わし、築地に料亭を経営するかたわら、銀座にキャバレーを開店し、その上、岡村俊樹というアプレ学生に出資して出版屋をやらせていたが、ふとしたことから守屋恭吾の日本へ残した娘伴子の所在を知って、これに近づいて行った。それと同時に、俊樹を使って、恭吾のその後の消息を探らせた。俊樹は、鎌倉に住む牛木を訪ねて、恭吾が日本へ帰っていること、目下京都へ行っていることなどの情報をもたらした。左衛子は、伴子が雑誌と洋裁の仕事をしているのを幸い、洋服を注文したいからという口実で築地の家へ呼び、日本へ帰っている父と会えと勧め、自分の持っていたダイヤの指輪を無理に伴子に持たせて返した。伴子は、恭吾が海外で消息を絶って、死んだと伝えられてから、母節子の再婚に伴われて隠岐達三という、学者の家に養われていた。母の節子が、気難かしく、人一倍世間体をやかましく言う夫にまめまめしく仕えているのも、ただひたすら伴子を一人前に育て独立させたいことと、達三との間に生れた太郎への愛情からであることを知っている伴子は、父恭吾の出現によって、母のこの平和を乱されたくないと思い、左衛子の勧めに従って、彼女と一緒に京都の宿で父に会った。左衛子は恭吾と会うことを避けたが、伴子が持っていたダイヤの指輪から、この父娘の再会を企んだのが左衛子であることを知った。しかし恭吾は美しく賢こく成長した伴子を見て嬉しかった。と同時に伴子とその母節子と、そして太郎との幸福を護るためには、自分は日本にいてはならない人間であることを悟った。恭吾は再び東京に現われ、築地の宿で左衛子と相対していた。恭吾を売った罪を詫びた左衛子は、名ばかりの夫高野信輔とも離婚し、事業も全て捨ててしまうから、恭吾と一緒にどこへでも連れて行ってと哀願する。恭吾はそれをトランプの勝負で決めようという。そして恭吾は秘かに左衛子の勝札を抜き取っておいたのだった。