福島県・飯舘村は原発から30キロ以上も離れていながら、風向きと降雪・降雨のために大量の放射能に汚染され、全村避難を余儀なくされた。酪農一家・志賀家の老夫婦は息子夫婦と離れて、村から数十キロ離れた町で2人暮らしをしている。75歳の父親は、村民自ら集落を回り警備する“見まもり隊”の仕事で生活費を稼ぎ、息子は酪農を捨ててコンクリート工場に就職した。離散してもお互いを気遣いながら暮らす志賀一家は、帰村して一緒に暮らせる日を待ち望んでいる。4世代で暮らしてきた長谷川一家も、両親は福島市近郊の仮設住宅に、長男一家は山形に移住した。線量の高い村では子育てもできず、農業再開も難しいと判断した長男は、帰村せず、自分の牧場を持ちたいと考えている。父親は長男一家との暮らしを願うが、母親は長男一家の生活に割り込み乱すことを懸念している。子供が幼い母親たちは、線量の高い村に2ヶ月近く残って子供たちを被爆させたことを悔やみ、自分を責め続けている。将来、飯舘村出身の経歴が結婚差別になったり、娘たちが生む子供に被爆による影響が出るのではないのかというのも、彼女たちの不安となっている。一方、非難区域の見直しや村を3分割する計画を提示する政府側に対し、帰村の基準値の安全性や除染に関する村人の不安・不信の声が噴出する。除染の実験事業の結果は子供たちが安心して暮らせるレベルではなく、村人の一部や原子力の専門家は、国の除染事業の真の狙いは原発再稼働だと指摘する。国の政策に翻弄され、2年に及ぶ避難生活を強いられる飯舘村の人たちの葛藤と苦悩を描きながら、原発事故によってあぶり出されたこの国のあり様を問う。