日中戦争が泥沼化の一途を辿り、日本が戦争の道を突き進んでいた1939年(昭和14年)。三井財閥企業の役員を父に持つ令嬢・山本方子は、美術学校で出会った朝鮮からの留学生イ・ジュンソプと恋に落ちる。やがて日本は太平洋戦争に突入。空襲が激化し、戦況が最終局面を迎えた1945年に、方子は命がけで海を渡り、故郷に戻ったジュンソプのもとへ嫁ぐ。幸せな時を過ごしたのも束の間、1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争の戦火と貧困に追われた2人は、再び日本と朝鮮の地で離れ離れになってしまう。それでも愛を失わなかった方子とジュンソプは、唯一の通信手段である手紙を利用して、200通以上にも及ぶやり取りを交わした。アジアの芸術家として初めてニューヨーク近代美術館(=MoMA)に作品が収蔵され、遺された絵画は今や億の値がつく画家イ・ジュンソプ。今でこそ韓国内に知らぬ者はいない著名な画家だが、生前はキャンバスも買えないほど貧しい生活を送り、1956年(昭和31年)に39歳で息を引き取った。彼が最後に会いたいと願ったのは、日本人の妻・方子だった。1組の夫婦の姿を通じて、悪化の一途を辿る日韓関係を見つめ直す。国家の対立が先鋭化した時代に、民族や政治、思想を乗り越えて信頼を築いた2人の人生が私たちに問いかけることとは……?