沖縄県民は何度もNOの声を上げたが、その声を日米政府がかえりみることはなく、2014年7月1日、辺野古の新基地建設が着工された。日本政府は警察、機動隊、海上保安庁を前面に立てて、反対する人たちを力ずくで抑え込みながら工事をすすめる。巡視船やゴムボート、特殊警備艇、警戒船など、最大80隻にもなる船が辺野古の海を埋め尽くし、おじぃやおばぁたちは、「まるで、沖縄戦当時のよう」と言った。海底の調査を地上の作業で代替するというインチキなボーリング調査や、海に勝手な制限ラインを設定し、報道機関の船も遠ざけ、連日、カヌー隊員たちを拘束して排除する“海猿”海上保安官たち。ゲート前にも、報道機関も排除し、怪我人を出すほどに猛り狂う機動隊がいる。それでも屈することなく、炎天下の日中も、台風前の雨の中もゲート前に座り続ける人々、工事用のトラックの前に両手を広げて立つおじぃやおばぁたち、カヌーに乗り、体一つで海へこぎ出す人々が戦いを続けた。8月23日には3600人、9月20日には5500人と、辺野古に集まる県民も日増しに増えている。ブイがおかれ、立入禁止と書かれたフロート(浮具)で仕切られ、真黒なゴムボートが浮かぶ物々しいシュワブ沿岸は、彼らのゴムボートが走り回る真下に、ジュゴンが海草を食む藻場がある。日本人同士の衝突をよそに、シュワブの浜では水陸両用戦車が走り回り、フロートの近くでは、海兵隊員たちがシュノーケリングに興じている。2014年11月16日、新基地建設反対を掲げる翁長雄志氏が県知事に選ばれた。ここに造られようとしているのは、普天間基地の代替施設ではなく、耐用年数200年、オスプレイ100機、揚陸強襲艦が運用可能な最新鋭の基地である。この海は誰のものなのか?