瀬戸内海に面した岡山県の牛窓。現在は瀬戸内市の一部になっているものの、“日本のエーゲ海”とも呼ばれ、万葉集では柿本人麻呂によって歌にも詠まれるほど古くから知られた町だ。岡山は広島に次ぐ日本有数の牡蠣の産地であり、養殖された牡蠣の殻を取り除く“むき子”の仕事は、代々地元の人々が担ってきた。しかし、かつて20軒近くあった牛窓の牡蠣工場は、今では6軒に減り、過疎化による労働力不足で、数年前から中国人労働者を受け入れ始めたところもある。東日本大震災で家業の牡蠣工場が壊滅的打撃を受け、宮城県南三陸町から移住してきた渡邊さんは、ここで工場を継ぐことになった。そして、2人の労働者を初めて中国から迎えることを決めたものの、中国人とは言葉が通じず、生活習慣も異なる。隣の工場では、早くも途中で中国に帰る脱落者が現れた。果たして、牛窓の牡蠣工場の運命は……?