2015年5月、東京の16歳から22歳までの学生が福島県須賀川市にある、福島第一原発から約65km離れた一軒の農家を訪れた。そして、出迎えた息子と母親の4年間の物語に耳を傾ける。2011年3月24日、須賀川市で農業を営む男性が自ら命を絶った。原発事故を受け、地元の農業団体から作物の出荷停止のファックスを受けた翌朝のことだった。彼は息子に、「お前に農業を勧めたのは、間違っていたかもしれない」と言い残した。それから4年が経ち、息子は母とふたりで、汚された土地で農作物を作り続けている。福島の米や野菜は今までの値段では売れないし、売れても黒字にはならない。農業だけで生きていくことは難しい現状だが、自死した父や先祖が代々受け継いできた土地を捨てるわけにはいかないと、彼らは土を耕し、作物を作り続けている。父は、「いい土を作らないと美味い野菜はできない」と言い続けていた。毎年食べていた椎茸、ふきのとう、たらの芽、山菜は今、この土地にはない。検査しているとはいえ、汚染された地で育てた作物を流通させることに、生産者としての罪の意識もある。紛争解決センターでの裁判、東電からの補償金、身内からの非難など、次々と内外の葛藤が押し寄せる。これは決して報道されることのなかった真実の告発であり、4年間の決意と軌跡である。「これは風評じゃない、現実なんだ」という息子の言葉を聞いた学生たちは何を想い、何を受け継ぐのだろうか。