1880年、彫刻家オーギュスト・ロダン(ヴァンサン・ランドン)は長い下積み時代を経て、初めて国から大きな仕事を発注され、意気揚々と制作に臨んでいた。国から支給されたアトリエでダンテの『神曲』を題材とした『地獄の門』の構想を練るが、1年かけてデッサンを起こし造形を探るも、思うようにまとまらなかった。この時期、ロダンは美しく優秀な弟子カミーユ・クローデル(イジア・イジュラン)との関係を深めていく。1891年、フランス文芸協会会長であるエミール・ゾラの口利きで文豪バルザックの記念像を制作することになったロダンは、現在知られているあの最終的な形に至るまで結局7年もの歳月を費やすことになる。『地獄の門』の制作同様、ロダンとカミーユの蜜月も永遠に続くかに見えたが、ロダンには内縁の妻ローズがいた。ロダンはカミーユとは別の形で豊満なブロンズ像のようなローズを愛し、決して別れようとはしなかった。カミーユはその不安から芸術家としての成功を追求するも、ほとばしる才気はロダンさえ呻らせるが、世間には認められなかった。カミーユはローズへの嫉妬や中絶を経験させられた哀しみ、ロダンの成功への妬み、認めてくれない社会への怒りを爆発させ、ロダンを激しくなじる。するとロダンは、「芸術家としての君は脅威だ。私など必要ない」と言い放つ。これはカミーユにとって師からの卒業であり、愛の終わりを示していた……。