2PAC(ディミートリアス・シップ・ジュニア)はニューヨークのスラムで生まれ育ち、ブラック・パンサー党員の母に連れられ住まいを転々としていたため、あまり周りに馴染めない辛い幼少期を送る。役者に憧れた彼は、12歳でハーレムの劇団に入団し舞台に立つ。1986年、一家でボルチモアに移り住んだ2PACはボルチモア芸術学校に入学し、そのころからラップに没頭して数々の詩を書き始める。17歳でカリフォルニアに移り住むころには母親がドラック中毒となっており、家庭はひどい有様と化していた。そんななかラッパーになる夢を追い続けた彼は、1991年、アルバム『2Pacalypse Now』でソロデビューする。2PACは着々と名を上げていくが、レコーディングに訪れていたスタジオで強盗に遭い、銃弾5発を受ける。一命を取り留めるが、この事件を仕組んだのは同じスタジオにいたショーン“パフィ”コムズとノートリアスB.I.G.(ジャマール・ウーラード)だと思い込むようになる。西海岸のヒップホップ・レーベルDeath Rowレコードに所属する2PACは、東海岸のBad Boyレコードのショーン“パフィ”コムズやノートリアスB.I.G.をことあるごとに非難し、ヒップホップ界史上最悪の東西抗争が勃発する。1996年9月7日、ラスベガスでついに2PACは銃撃され、その6日後の9月13日に25歳の若さでこの世を去る。