2011年3月に発生した福島第一原発事故から1ヶ月後、国は20km圏内を“警戒区域”に指定、立入を厳しく制限する。同年5月、農水省は、放射能に汚染された食肉を流通させないため、警戒区域にいる全ての家畜の殺処分を福島県に通達。強制避難を強いられた農家は、涙を呑んで通達された家畜の殺処分に従うしかなかった。だが、その方針に納得できず、牛を生かし続けようとする畜産農家が現れる。ある農家は被ばくを覚悟で住んではならない居住制限区域で暮らし、別の農家は2日に1回60キロ離れた二本松市の仮設住宅から通い続けている。事故翌年、被ばく牛に原因不明の白い斑点模様が出現。被ばく牛を科学的に調査する大学合同チームも動き出す。研究テーマは『世界初、低線量被曝による大型動物への影響』。ところが、国は初期の被ばく量が分からないという理由から、価値はないと判断、人類に有益と思われる研究にさえ協力しなかった。事故の痕跡をリセットしたい国にとって、原発事故の生き証人ともなる“被ばく牛”はやっかいな存在となり、被ばく牛を生かし続けてきた農家も徐々に心が折れていく。長期にわたる経済負担、避難先での老老介護など止む負えぬ事情から脱落していく人たち。原因不明の白斑を放射能による突然変異と考えたある農家は、国に抗議しようと逮捕を覚悟で斑点牛を東京・霞が関へと連れて行く……。