バブル経済崩壊後の1995年。地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災が起き、世相がますます暗くなる中、東京・東中野の片隅で、ある試みが始まった。シングルマザーの加納穂子が始めた共同保育“沈没家族”だ。ここでは、集まった保育人たちが一緒に子どもたちの面倒を見ながら共同生活を送っていた。そこで育ったボク(=加納土監督)が“ウチってちょっとヘンじゃないかな?”と、ようやく気づいたのは9歳の頃。やがて大学生になり、改めて思った。ボクが育った“沈没家族”とは何だったのか。“家族”とは何なのか……。当時の保育人たちや一緒に生活した人たちを辿りつつ、母の想い、そして不在だった父の姿を追いかけて、“家族のカタチ”を見つめなおしていく。