1963年沖縄。祖国復帰を願う沖縄の人々は、日本の味としてサンマを食していた。だが、琉球列島米国民政府の高等弁務官布令、物品税法を定めた高等弁務官布令十七号(1958年公布)により、サンマには輸入関税がかけられていた。ところが、関税がかかると指定された魚の項目にサンマの文字はなかった……。ある日、魚卸業の女将・玉城ウシは、サンマに関税がかかっているのはおかしいと、琉球政府を相手に徴収された税金の還付訴訟を起こす。求めた額は、現在の貨幣換算で7000万円。この“サンマ裁判”は、いつしか統治者アメリカを追い詰める民主主義を巡る闘いとなっていく。人々の視線の先に立ちはだかったのは、帝王と恐れられ、1961年初めから1964年夏まで第3代高等弁務官を務めたポール・W・キャラウェイ。彼は沖縄経済の改革に尽力したが、布令を何度も発令して民衆を縛り付け、本土復帰運動をも弾圧した施政を展開していた。沖縄のメディアはその猛威をキャラウェイ旋風と名付けた。そんなキャラウェイに挑んだウシおばぁのサンマ裁判をきっかけに、その裁判を支えた弁護士であり、大きなことを言うことからラッパと呼ばれた政治家・下里恵良、そして“米軍(アメリカ)が最も恐れた政治家”瀬長亀次郎らの行動をたどりながら、統治者アメリカと自治権をかけて闘った人々に迫ってゆく……。