420年前、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出兵から帰国する際、主に西日本の諸大名は各藩に朝鮮人陶工を連れて帰った。薩摩焼、萩焼、上野焼などは朝鮮をルーツに持ち、現代にもその伝統を受け継いでいる。薩摩では、彼らを厚く庇護する島津家が苗代川当地に住まわせたが、その中に沈壽官家の初代となる沈当吉がいた。以来、沈壽官家は多彩な陶技を尽くした名品を生み出し、世界中に“SATSUMA”の名を広げた。十五代沈壽官は、幼少期に経験した言われなき偏見や差別の中で日本人の定義とは何かと自身のアイデンティティに悩んだが、司馬遼太郎の地方の言葉に救われたという。その十五代沈壽官が修行時代を過ごした韓国・利川にあるキムチ甕工房の家族は、十五代から伝統を守る意義を学んだ。沈壽官家の薩摩焼四百年祭への願いとは。そして、上野焼十二代渡仁が父から受け継いだ果たすべき使命や、萩焼十五代坂倉新兵衛が語る父との記憶と次の世代への想いに迫る。朝鮮をルーツに持つ陶工や、その周囲の人々の話を交差させながら、見つめ直すべき日本と韓国の陶芸文化の交わりの歴史や、伝統の継承の意味を浮かび上がらせる。