神奈川県鎌倉市の生まれ。小中高と暁星学園に通い、1953年に早稲田大学文学部演劇科に進学するが、演出家を志して55年に中退。東宝芸能学校舞踊科に第1期生として入り、同校卒業後は日劇ダンシング・チームに所属して、東宝ミュージカルなどの舞台に立つ。60年にはヨーロッパ公演に参加するが、公演終了後、単身パリに渡って1年間、パントマイムを学んだ。帰国後に日劇を退団すると、テレビの振付師第1号として活動を開始。やがて、フジテレビの音楽番組『ビートポップス』66、TBS『ドリフターズ・ドン!』67など振り付けを担当した番組に出演するようになって、軽妙なキャラクターが人気を呼ぶ。その少し前から、俳優としてテレビドラマにも出演していたが、映画は70年の「青春喜劇・ハレンチ学園」がデビュー作となる。ギャグとお色気満載の永井豪の人気漫画を映像化した本作では、ヒゲモジャの顔に原始人ふうの格好の“ヒゲゴジラ”役を、とぼけたキャラクターを活かして好演。続けて「喜劇・冠婚葬祭入門」70、「喜劇・猪突猛進せよ!!」71、「走れ!コウタロー/喜劇・男だから泣くサ」71などに出演したあとは、活動の主軸をテレビに移す。日本テレビ『カリキュラマシーン』74~78、TBS『ぴったしカン・カン』78~86、フジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』81~96など、バラエティやクイズ番組で個性を発揮。“おヒョイ”のニックネームで、広くお茶の間に親しまれる。90年。相米慎二監督「東京上空いらっしゃいませ」で久々にスクリーン復帰。91年には癌で胃の2/3を摘出したが、その後も好々爺然としたキャラクターを演じて多くの映画に出演する。中でも、06年の金子修介監督「デスノート」二部作で、松山ケンイチ演じる“L”の執事・ワタリ役を飄々と演じたのが印象に残る。主なテレビドラマに、フジテレビ『総理と呼ばないで』97、日本テレビ『お熱いのがお好き?』98、テレビ朝日『笑ゥせぇるすまん』99、NHK『オトコマエ!』08・09など。2017年1月25日、心不全のため死去。享年82歳。