東京市(現・東京都)の生まれ。本名・藤間昭暁。父は歌舞伎俳優の初代松本白鸚、母は初代中村吉右衛門の娘・正子。二男一女の長男で、2歳下の弟が二代目中村吉右衛門。1946年5月、“二代目松本金太郎”を名乗って東京劇場『助六』の外郎売りで初舞台。49年9月、歌舞伎座『逆艪』の遠見の樋口で“六代目市川染五郎”を襲名する。以後、歌舞伎俳優として活躍を続け、61年、父と、当時“中村万之助”を名乗っていた弟らと一緒に松竹から東宝へ移籍。歌舞伎だけでなく現代劇やミュージカルにも積極的に出演して、芸域を拡げていく。64年の『王様と私』でミュージカル初主演。映画は55年の五所平之助監督「たけくらべ」が初出演で、東宝移籍後の須川栄三監督「僕たちの失敗」62で初主演も飾る。60年代半ば以降は映画から離れたが、78年の五社英雄監督「雲霧仁左衛門」で復帰し、79年よりフリーとなって、歌舞伎をはじめとする舞台、映画、テレビドラマと旺盛な活動を続ける。80年、トヨタ自動車の開設者・豊田喜一郎を主人公とした佐藤純彌監督「遙かなる走路」で、研究に取り憑かれていく男の執念を好演。81年10月に“九代目松本幸四郎”を襲名したのち、松竹蒲田撮影所時代を描いた山田洋次監督「キネマの天地」86では、城戸四郎をモデルとした撮影所長を飄々と演じた。96年には16年ぶりの主演映画となる貞永方久監督「RYOHKAN/良寛」で貫録を示す。同年の舞台『マクベス』で、シェイクスピアの4大悲劇をすべて制覇。97年に演劇企画集団シアターナインズを、2000年には歌舞伎企画集団“梨苑座”を旗揚げする。2008年に『ラ・マンチャの男』上演が通算1100回に達し、ひとつの作品を同一主演者で上演するミュージカルの国内記録を更新した。テレビドラマは、NHK大河ドラマ『黄金の日日』78、『花の乱』94、フジテレビ『王様のレストラン』95、『モナリザの微笑』00、『天才柳沢教授の生活』02、テレビ朝日『生きる』07、WOWOW『人間動物園』10など。69年に結婚した紀子夫人との間に一男二女があり、長男・七代目市川染五郎、長女・松本紀保、次女・松たか子はいずれも俳優として活躍している。