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富司純子

  • Sumiko Fuji
  • 出演
本名 寺島純子
出身地 和歌山県御坊市の生まれ
生年月日 1945年12月1日
没年月日

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略歴

和歌山県御坊市の生まれ。本名・寺島純子(旧姓・俊藤)。旧芸名は藤純子。1962年から75年まで東映映画のプロデューサーとして活躍し、その後も多くの任俠映画を作った俊藤浩滋を父に持つ。出生地の御坊市は疎開先で、5歳の時に大阪市東成区に移り住む。中学3年生の時に宝塚歌劇のファンとなり、宝塚音楽学校へ進もうとしたが、父の反対にあって断念。四条畷学園高校2年生だった62年、大阪・よみうりテレビの歌謡番組『ハイハイ、マヒナです』62~63のカヴァーガールとして、姉・允子とともに出演し、これが芸能界デビューとなる。同年、一家ともども京都へ移転し、京都女子高校へ転入。翌63年、父の職場である東映京都撮影所を訪ねて、マキノ雅弘監督と出会う。松竹からスカウトされかかっていたことを相談すると、マキノ監督は「女優になるなら自分が面倒を見る」と演技の基礎を指導し、同年6月公開の自作「八州遊俠伝・男の盃」に千葉真一の恋人役で出演させた。芸名もマキノ監督が名付け親となり、ここに女優・藤純子(ふじ・じゅんこ)が誕生する。デビューした63年には、時代劇やマキノ監督の「次郎長三国志」などに出演する一方で、大阪・朝日放送のコメディ『スチャラカ社員』にも若い女給役でレギュラー出演し、お茶の間でも注目を集めるようになった。翌64年には、加藤泰監督の「車夫遊俠伝・喧嘩辰」「幕末残酷物語」、マキノ監督の「日本俠客伝」など11本に出演。65年にも澤島忠監督のオムニバス時代劇「股旅・三人やくざ」を始めとして15本に出演。中でも加藤泰監督による任俠映画の傑作「明治俠客伝・三代目襲名」では、自分の任俠道を貫こうとする鶴田浩二の主人公との愛を断念する薄幸の娼婦役を演じ、製作者協会新人賞に輝いている。時代劇から任俠映画へと路線を変えていった当時の東映にあって、美しい和服姿の中に凛とした色香を放ち、男たちを自分のすべてをかけて支える女性に扮した藤純子の魅力は、独特のストイシズムの美学に彩られた任俠の世界で最大限に引き出されていった。66年のマキノ監督「日本俠客伝・血斗神田祭」「日本大俠客」では、物語のキーとなる芸者役を好演。またこの年には、NHK大河ドラマ『源義経』で、のちに結婚する尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と共演している。67年にも10本の作品に出演し、中でも主人公の母親と彼を愛する芸者の二役に扮した「俠骨一代」は、女性の優しさと母性を感じさせる名演で、演出したマキノ監督にとっても想い出に残る秀作となった。そして68年、任俠映画の頂点とも言える山下耕作監督の「博奕打ち・総長賭博」への出演を経て、彼女にとって初の任俠映画主演作「緋牡丹博徒」が山下耕作監督の手で作られる。父の仇を求めてさすらう熊本生まれの女俠客“緋牡丹のお竜”こと矢野竜子を演じたこの作品では、熊本弁の歯切れのいい啖呵と颯爽とした立ち回り、さらにはこれまでの映画で磨かれてきた女優としての美しさが見事に融合し、瞬く間に多くのファンを獲得。同名の主題歌もヒットして、鶴田浩二、高倉健に続く任俠スターとしてのポジションを確立した。「緋牡丹博徒」はシリーズ化されて72年までに8本が作られ、藤純子のメインイメージはこのシリーズに集約されていく。ほかにも毎回違った気丈な女俠客に扮した『日本女俠伝』69~71、『瞼の母』の女性版とも言える『女渡世人』71がシリーズ化された。しかし、その人気が絶頂期を迎えていた71年11月9日に尾上菊之助との婚約と、それに伴う引退を発表。翌72年3月30日の結婚直前、恩師・マキノ監督がメガホンを取り、東映のオールスターが共演した「純子引退記念映画・関東緋桜一家」で見せた鉄火肌の柳橋芸者役を最後に、スクリーンから姿を消した。71年度のキネマ旬報賞女優賞、毎日映画コンクール女優演技賞受賞が、引退に花を添えた。その後、74年からフジテレビのワイドショー『3時のあなた』で、本名の“寺島純子”の名で司会を担当。77年まで同番組に出演し、一時出産・育児のために降板したが、80年に復帰してからも88年4月まで司会役を継続した。この間の83年には、NHKテレビ放送30周年記念番組『勇者は語らず』で女優復帰も果たしている。ただし本格的な映画復帰作は、降旗康男監督が向田邦子の小説を映画化した「あ・うん」89からとなる。この年の1月から芸名を現在の“富司純子”に改め、第2の女優人生が始まる。戦前の東京を舞台にした「あ・うん」では板東英二演じるサラリーマンの夫と、その親友で中小企業の社長である高倉健のふたりから想いを寄せられる女性に扮し、一見普通の主婦に見えながらも少女のあどけなさと芯の強さを持つ奥行きのあるキャラクターを好演。女優としての健在ぶりを見せつけた。大林宣彦監督「ふたり」91を経て、相米慎二監督の「あ、春」98では、佐藤浩市演じる主人公の母親に扮して人生の年輪を感じさせ、報知映画賞助演女優賞を受賞。深作欣二監督「おもちゃ」99は懐かしの東映京都撮影所で作られた作品で、芸妓置屋の女将に扮し、主人公の少女が舞妓として水揚げされる資金を作るために意に沿わない金持ちの男に抱かれる女の、強さと哀しさを絶妙のバランスで表現。この演技でキネマ旬報賞、ブルーリボン賞の助演女優賞、日刊スポーツ映画大賞主演女優賞、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞している。さらに、2006年の李相日監督「フラガール」では、寂れていく炭鉱町をレジャーセンターのフラダンスで再生させようとする、蒼井優演じるダンサー志望の娘を応援する母親役を演じて、ブルーリボン賞、日刊スポーツ映画大賞の助演女優賞を受賞した。この年には市川崑監督が自作を30年ぶりにリメイクした「犬神家の一族」に、前作では高峰三枝子が演じた犬神松子役で出演。実子の五代目尾上菊之助と母子役で共演したことでも話題を集めた。07年、紫綬褒章を受章。09年のアニメーション「サマーウォーズ」では、地方の名家の当主役で声優にも挑戦している。テレビドラマも任俠スターだった60年代から多数出演し、日本テレビ『王将物語』65、NHK『源義経』66、フジテレビ『大奥』68、『五辯の椿』69、『徳川おんな絵巻』70などの初期作から、NHK『翔ぶが如く』90、『琉球の風』93、『北条時宗』01、『天花』04、日本テレビ『まったナシ!』92、さらにフジテレビ『CHANGE』08、『わが家の歴史』10、NHK『天地人』09、『てっぱん』10~11などの近作まで幅広い作品に出演している。富司純子として復帰以降、日本女性の内面的な凛とした強さを感じさせる役を演じることが多いが、そこにはかつて男性にとって理想の華だった藤純子時代とはまた違った、現代女性が憧れる“自立した女”の魅力がある。そうした芯の強さは、長女で女優の寺島しのぶにも、きっちりと受け継がれているように感じられる。

キネマ旬報の記事

2016年8月上旬号

加藤泰 生誕100年記念 スペシャルインタビュー 富司純子:加藤さんはいつも女性を愛おしく描いてくださいました

2014年7月下旬号

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2013年7月上旬号

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2007年1月上旬特別号

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2001年12月上旬号

巻頭特集 東映50周年と「千年の恋 ひかる源氏物語」:富司純子 インタビュー

2000年2月下旬決算特別号

特別カラー・グラビア:助演女優賞 富司純子

1999年2月上旬号

FACE:富司純子

1999年1月上旬新年特別号

特集 あ、春:対談 富司純子×相米慎二

1989年12月下旬号

インタビュー:富司純子

1958年8月下旬号

外国映画批評:黒い罠