父は家具製造業者。ニューヨーク大を卒業して俳優をめざし、いくつかの舞台に立ったり、テレビ・ドラマに出演したが、パッとしなかった。やがて、その頃テレビ・ドラマを演出していたマーティン・リット監督と出会い、アシスタントになって演出を学ぶ。58年に俳優としてロサンジェルスに移り、演出家に転向。故スティーヴ・マックィーンの出世作になった「拳銃無宿」シリーズをはじめ、「ミステリー・ゾーン」「刑事コジャック」「弁護士プレストン」「FBI」などのいくつかを手掛ける。特にスペシャル・ドラマ「青い渇き」(75)は、画期的な作品として高く評価された。 62年から劇場用映画にも進出したが芽が出ず、有能なテレビ監督にとどまっていた。だが、76年に「オーメン」の大ヒットで脚光を浴び、大作「スーパーマン」(78)の演出を任される。以後、確かな演出手腕で職人ぶりを発揮し、スティーヴン・スピールバーグと組んだ「グーニーズ」(85)などをヒットさせた。87年には「ロストボーイ」のエグゼキュティヴ・プロデューサーを担当している。夫人は「ミスター・マム」(83)、「プリティ・イン・ピンク」(86)や「レディホーク」などのプロデューサーであるローレン・シュラー(ローレン・シュラー=ドナーと改名)。