【低予算から大作までこなす現代プログラム・ピクチャー職人】大阪府八尾市の生まれ。大阪工業大学付属高校を卒業後、たまさかラジオで募集を聞いた横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)に入学する。しかし授業自体はサボっていたところ、学校関係者の撮影応援に駆り出されて助監督となった。主に映画からテレビ業界に降りてきた監督たちにつき、『闇を斬れ』『ハングマン』などドラマ作品の助監督を担当。一方で野田幸男、恩地日出夫、今村昌平らの映画作品にもつく。折しもOV(いわゆるVシネマ)の興隆期であり、急遽代役登板を要請されて1991年のOV『突風!ミニパト隊/アイキャッチ・ジャンクション』で監督デビュー。そのままOV作品を連作するうちに、同規模同種の作品が劇場でも公開されはじめ、95年のやくざ映画「第三の極道」が劇場デビュー作となった。90年代はOV・劇場公開作を年2~3本ペースで手がけ、徐々に劇場作の割合を増やし約30本を監督。96年の「極道戦国志・不動」はのちに海外の映画祭で評価され、98年の「中国の鳥人」はキネマ旬報ベスト・テン入りを果たす。小規模作品から全国公開作まで、ジャンルを問わず間断なく撮り続け、99年の「DEAD OR ALIVE/犯罪者」でカルト人気が決定的に。2000年代も同様に多作を続け、「妖怪大戦争」(05)などの娯楽大作も交えて監督作は70本を超えた。「オーディション」(00)、「殺し屋1」(01)、「カタクリ家の幸福」(02)、OV『牛頭』(03)などを海外映画祭に出品、米国に招かれ「インプリント/ぼっけえ、きょうてえ」(05)を撮り、「クローズZERO」シリーズ(07・09)や「ヤッターマン」(09)を大ヒットに導くなど、八面六臂の活躍を続けている。【量産で際立つ先鋭的暴力演出】経歴上は撮影所システム崩壊後の映画学校出身監督となるが、実情は純粋な現場叩き上げであり、Vシネ・バブル期の過度な需要の落とし子と言えよう。元来シネフィルではなく、正統に映画技術を学んでもいない実態を自認し、「仕事は来た順に請ける」と公言する。その言葉通り、OV規模の低予算映画から大作まで多彩なジャンルを休みなく手がけ、いずれも製作状況ともども破綻なく一定水準以上の作品を仕上げることに定評がある。監督作には低予算のヤクザ映画・活劇の割合が多く、過剰な演出が似合ったこのジャンルに秀作も多い。その暴力描写は時に残虐を極めつつギャグと見紛うほどに暴走、リアリズムを超越した映画空間を作り出して、一部のファンから熱く支持されている。98年には米『TIME』誌で、期待される非英語圏の監督第10位に選ばれ、07年には「オーディション」が同誌ホラー映画ベスト25の一本に選出されるなど、国内の職人扱いに比して海外では作家的評価が一段と高い。近年は全国公開作を中心に手がけ、ヒットメーカーの仲間入りを果たした。