【透明感を湛えた映像で現代の人情悲喜劇を綴る実力派】愛知県一宮市の生まれ。地元有名校の合格祝で8ミリカメラを買ってもらい、高校在学中より自主映画を撮り始める。日本大学芸術学部映画学科に入学した1981年、浪人時代に撮った「三月」が名称を定めたばかりのぴあフィルムフェスティバルに入選。その縁で石井聰亙監督「爆裂都市/BURST CITY」(82)の現場を経験し、83年の16ミリ作品「田舎の法則」も再度PFF入選を果たして注目された。85年の大学卒業後も定職に就かず、90年、新進若手作家の作品を多数送り出して映画界に参入した日本ビクター製作の「バタアシ金魚」で監督に起用され、商業映画にデビューする。コミック原作の青春映画「バタアシ金魚」はキネマ旬報ベスト・テンの5位に入選、新人監督賞を多数受賞。監督第2作の江國香織原作による「きらきらひかる」(92)もベスト・テン入選、シカゴ国際映画祭で受賞と、新人時代の作は続けて高い評価を得ていく。その後も(過去回想を含む)同時代社会の庶民ドラマを一貫して手がけ、都市伝説流行にあやかった「トイレの花子さん」(95)や、動物ものの感動実話「さよなら、クロ」(03)でも力点を人間ドラマに注いだ。2007年のベストセラー原作「東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン」は、大ヒットの末に日本アカデミー賞で作品賞・監督賞ほかを受賞している。【自主映画作家の成長と豊饒】8ミリ時代は日芸の卒業制作「いとしの配偶者」(85・16ミリ)を含め、自身のヒロイン・西村むつみへの想いをフィルムに定着し続け、故郷一宮を舞台とした「三月」「田舎の法則」「字/aza」(86)の“田舎三部作”でアマチュア映画界の雄として注目を浴びていた。その評価により助監督を経ずに商業映画に起用された、純粋な自主映画出身監督である。プロとなってからは原作に依ることで等身大の想いを綴る姿勢を維持し、「バタアシ金魚」は高校生男女、「きらきらひかる」はアルコール依存症の妻と同性愛カップルの三角関係、「私たちが好きだったこと」(97)は青年男女4人、「ベル・エポック」(98)は30歳前の女性5人の群像劇と、同世代人物である描写対象を徐々に増やし世界観を広げていった。介護問題を含んだ女性ドラマ「アカシアの道」(01)が転換点となり、以後は大衆的な物語性を紡ぐことに力量を発揮した。自主映画時代からおよその作で脚本も手がけ、一貫して現代庶民層の人情悲喜劇を、澄んだ映像と穏やかなタッチで綴る。市民公演のダブルブッキングにおける公民館職員や当事者の奔走を描いた「歓喜の歌」(08)は、感性だけに頼らない物語作りでの到達点と言えよう。ここまでの歩みからは、カット割りも知らなかった素人が作家的感性を維持しながら、日本映画の伝統に沿う庶民劇を撮るに至った経路を見ることができる。