【試行錯誤を重ね、邦画を支えるプロフェッショナルの境地に】東京都生まれ。明治大学法学部在学中は剣道部に所属し、映画サークルとは縁がなかったが、1980年代初頭の日本映画に触発され、シナリオ作家協会のシナリオ講座に通った。84年、大学在学中に吉田憲二監督の「想い出のアン」の撮影現場につき、衣裳係、小道具を経て、86年から森田芳光、根岸吉太郎、中原俊、金子修介らの助監督をつとめる。その傍ら、森田組で知り合った撮影助手・上野彰吾(のち撮影監督)と組み、8ミリ映画の製作を始める。89年にその「RUNNING HIGH」がPFFアワード89の特別賞を受賞。それを機に16ミリで自主製作した「草の上の仕事」(93)が、神戸国際インディペンデント映画祭でグランプリを受賞し、ぴあの配給で劇場公開もされた。翌94年にはイタリアのモンテカンティーニ国際映画祭で“水の女神賞”を受賞。同年、OV『バカヤロー!V・エッチで悪いか』の第3話『天使たちのカタログ』を監督し、続いて『YOUNG & FINE/ある女子高生の学園性活』(95)ほかのOV、NHK-BSのアートドキュメンタリー『小さな家の殿堂』を2本演出する。96年、演劇集団キャラメルボックスの真柴あずきと共同で脚本を執筆した「月とキャベツ」で、劇場商業映画を初監督。インディペンデント作品としては異例のヒットとなり、以後「悪の華」(97)、「洗濯機は俺にまかせろ」「きみのためにできること」(99)、「死者の学園祭」(00)と堅実に作品を発表した。2000年公開の「はつ恋」はキネマ旬報ベスト・テン第10位にランクされる。21世紀に入ってからも「張り込み」(01)、「命」(02)、「昭和歌謡大全集」(03)、「天国の本屋・恋火」「深呼吸の必要」(04)、「地下鉄(メトロ)に乗って」(06)、「山桜」(08)、「真夏のオリオン」「つむじ風食堂の夜」(09)など、ほぼ毎年コンスタントに撮り続けている。【常に一定の水準を保つ、柔軟な演出力】商業映画の助監督をつとめながら、精力的に自主映画を撮ることで劇場デビューに至ったインディーズ出身系統の監督。初期のうちはOV枠の作品で娯楽作を撮り、一方の小品映画で自主映画時代の作風に連なる人間ドラマに取り組んだ。エンタテインメントからしっとりとした佳品まで、俳優たちの魅力を最大限に引き出す篠原作品の特長は、その柔軟さにある。時として作家性が埋没して見えかねないこともあり、稀薄な個性として捉えられがちだが、いかなるジャンルの作品を手がけても常に一定の水準を保つことに定評がある。この映画を成立させるためのバランスの良さ、確かな目配りこそ量産体制にたちかえった日本映画界に必要とされるものであった。