【VFXを武器にリアルな映像で非現実を構築する視覚派】長野県松本市の生まれ。13歳の時に「スター・ウォーズ」と「未知との遭遇」を見て特撮マンになろうと決意し、阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業後の1986年に、日本のVFXスタジオの草分けである“白組”に入社した。ミニチュア製作等を経て、「大病人」(93)、「怖がる人々」(94)、「エコエコアザラク」(95)、「スーパーの女」(96)、「パラサイト・イヴ」(97)などの映画でデジタル合成やSFXを担当。しかし、VFXマンとして活躍するうちに、一本の映画すべての映像面をコントロールしたいと考えるようになり監督を指向、オリジナル企画の『鵺(ぬえ)』が制作会社“ROBOT”の阿部秀司社長の目に留まり、監督デビューが決まった。莫大な製作費が見込まれる『鵺』に代わってデビュー作となったのが、2000年の「ジュブナイル」。少年少女と未来からやって来たロボットとの交流を描いた近未来SFで、監督・脚本・VFXを兼務した山崎は、従来の日本映画にはなかった高度なビジュアル・イメージを展開させた。続く第2作「リターナー」(02)もタイムトラベルが題材のSFアクションだったが、一転、昭和30年代の東京の風景をVFXで描出した「ALWAYS/三丁目の夕日」3部作(05・07・12)では、CGをCGと感じさせない自然な映像表現でVFXの新たな可能性を拡げた。続く「BALLAD/名もなき恋のうた」(09)ではさらに過去に遡って時代劇に挑戦。VFXを多用して、よりリアリズムに徹した戦国時代の合戦描写を実現させた。阿佐ヶ谷美術専門学校時代の同級生だった映画監督・佐藤嗣麻子と結婚。すでにいくつかの作品で共同作業は経験済みで、「SPACE BATTLESHIPヤマト」(10)も山崎監督・佐藤脚本の夫婦コンビである。【日本のVFXマンの第一人者】日本に“VFX(視覚効果)”という言葉を定着させた第一人者であり、CG畑からの監督進出という道筋を切り拓いた先駆的な存在。数々の映画でVFXを担当してきた経験を活かし、映画ファンとしてハリウッド製SFに親しんできた感性からも、まずはVFXを多用する近未来SF作品で演出家としての持ち味を発揮した。転機となったのは、同じようにVFXを多用しながらもそれを近未来的なガジェットに用いるのではなく、失われた過去の情景の再現に費やした「ALWAYS」3部作。観客に昭和のノスタルジーを喚起させ興行的にも大成功を収めて、監督としてのイメージも大きく転換させた。「ALWAYS」で確立されたリアリズムとしてのVFX表現においては、時代劇「BALLAD」でも顕著なように、他の追随を許さぬ先駆者としての筆力に磨きがかかっている。「VFXこそが監督としての最大の武器」と自身も語る通り、ほかのどんな監督にも使いこなせない視覚表現の手段を持っているのは山崎の強みだが、だからこそ、VFXに頼らない部分の演出力が今後も勝負の鍵となる。