【映画という大枠で戦後父権社会を問う考察の作家】福岡県北九州市の生まれ。在郷の高校時代までは音楽に熱中し、1984年に立教大学文学部英米文学科に進んでからは、映研で映画制作に取り組んだ。当時教鞭をとっていた蓮實重彦より強い影響を受け、89年の卒業後にディレクターズ・カンパニーの現場に参加、フリーの助監督となる。主に黒沢清や井筒和幸につき、同世代新進監督のバックアップをしていた頃の95年、黒沢の推薦によりOV『教科書にないッ!』を初監督。さらに助監督時代に出会った仙頭武則プロデューサーと組み、96年の「Helpless」で劇場デビューを飾った。以後、仙頭とは折々に意欲作を発表し、撮影の田村正毅もおよその作品を担当することになる。WOWOWプロデュースで発表された「Helpless」は思索性の高い青春ドラマとして評価され、多くの国際映画祭に出品された。以降も小規模作品を間断なく手がけ、快進撃は2000年代まで続く。「冷たい血」(97)などOV枠のジャンル映画や、「路地へ・中上健次の残したフィルム」(00)といった自主製作の記録映画などフィルモグラフィーは多彩。00年には3時間半の大作「EUREKA」がカンヌ映画祭で国際批評家連盟賞とエキュメニック賞をW受賞、一躍国際舞台に躍り出て、以降の作品もたびたび映画祭に招かれるようになった。大手映画会社の作品に招かれることはないものの監督作は継続的にあり、07年の「サッドヴァケイション」は「EUREKA」以来のキネマ旬報ベスト・テン入りを果たしている。02年に女優のとよた真帆と結婚。音楽ドキュメンタリーもよく手がけ、06年の「AA」は7時間超の大作として話題になった。【物語を映し、見えないものを描く】黒沢清、周防正行、塩田明彦らに続き、蓮實門下生とも言える立教ヌーヴェルヴァーグの末尾をとった映画作家。助監督時代より評論活動も並行し、自身の監督作で映画論や現代思想を実践する面がある。フィルモグラフィーには原作もの・ジャンル映画が散見されるが、映画的に凝らした映像で綴る物語の裏側に、戦後社会を見据えた批評を含むことはよく指摘される。「Helpless」は父親ややくざ組長の喪失を通じて天皇制に言及し、「冷たい血」は内臓を喪った身体に空洞社会を象徴させた。あるいは端的に「月の砂漠」(01)のIT起業や「レイクサイドマーダーケース」(04)の受験競争といった世相を材に取り、現代の家族像や愛を問いもする。その芯を貫くのは父性や国家の脆弱さであり、こうした思索性を故郷の風土で展開させた作品群が「Helpless」「EUREKA」「サッドヴァケイション」の3部作。これらは“北九州サーガ”と名付けられ、「サッドヴァケイション」では視点が強靱な母性に転じて、青山による戦後社会統括の転換点とみられている。