【自身の出自に根ざして家族と故郷を繰り返し描き続ける】奈良県奈良市出身。1歳半の時に両親が別居し、母方の叔母夫婦に育てられ、養女となる。中学時代よりバスケットボールに熱中し、奈良市立一条高校入学後はバスケ部のキャプテンをつとめ、県代表として国体に出場。他方で番組制作に興味を抱き、大阪写真専門学校(現・ビジュアルアーツ専門学校)映画科に入学し、高嶺剛に師事して映像制作を学ぶ。1989年に同校卒業、カラオケビデオ制作会社、母校の講師職を経るなか、幼い頃に生き別れた実父を捜す過程を描いた自主映画「につつまれて」(92)、養母との日常を綴った「かたつもり」(94)が、95年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で国際批評家連盟賞と奨励賞を受賞。同時期に中編映画「白い月」(93)がPFF招待作品に選ばれるなど、20代前半よりドキュメンタリーと劇映画の両方を旺盛に発表する。故郷の奈良を舞台に一家族の解散を描いた劇映画デビュー作「萌の朱雀」で、97年のカンヌ映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少の27歳で受賞し、世界的な注目を浴びる。続く「火垂(ほたる)」(01)は、ロカルノ国際映画祭で国際批評家連盟賞と、ヨーロッパ国際芸術映画連盟賞をダブルで受賞。デビュー以降、発表作品の多くが国際映画祭に出品され、現役日本人女性監督の中でもっとも世界的に有名な監督となる。なお、この時期は仙頭直美名義で活動。そして07年、再び奈良を舞台にした「殯の森」がカンヌ映画祭グランプリを受賞、名声を不動のものとした。企画制作会社・組画を率いつつ自身の生まれ育った奈良を拠点に創作を続け、劇映画、ドキュメンタリーと並行して文筆活動、CF制作など多岐にわたる活動を展開。2010年より開催する“なら国際映画祭”では、エグゼクティブ・ディレクターをつとめる。【“生と死”への執着】最初に注目された自分史ドキュメンタリー「につつまれて」「かたつもり」の頃より、“家族”と“故郷・奈良”を重要なテーマとして繰り返し描き続ける。「萌の朱雀」での父親の失踪、「火垂」の祖父母に養育される主人公男女など、出自が形を変えて作品内に盛り込まれるところから、私小説的な映画作家の系譜に連なるといえよう。役者の生理を引き出す即興演出に長け、とりわけ「火垂」における街中でゲリラ撮影した踊りのシーンや、「沙羅双樹」のバサラ祭り、「殯の森」の森など、日常生活の中に立ち現われる祝祭的な空間も河瀨映画の個性である。「沙羅双樹」では出産シーンを自ら演じ、続く「殯の森」では死者への悼みを描くなど、“生と死”への強い執着がみられ、また自分を前面に出す作風から観客の好悪を呼びやすい作り手でもある。結婚・出産を経た近作には女性の肉体のエロティシズムが色濃く反映され、自身の出産体験を素材にしたドキュメンタリー「垂乳女」(07)にはこれら特徴がすべて盛り込まれた。