【実写日本映画の歴代興収記録を持つマネーメイキング監督】香川県丸亀市出身。出生地は高知県だが、銀行員の父親の転勤に伴い各地を転々としてから、高校までを香川で過ごした。横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)を卒業後、電通映画社(現・電通テック)でCMの現場を経験してから、共同テレビジョンの子会社であるベイシスに入社。深夜のバラエティ番組を中心にADをつとめ、1991年にディレクターに昇進した。翌92年の深夜ドラマ『悪いこと』で初めてドラマ演出を手がけ、以後『NIGHTHEAD』(92~93)、『17才』『お金がない!』(94)などの連続ドラマを担当する。96年、フジテレビ製作の「7月7日、晴れ」で監督に起用され映画デビュー。この時点でテレビドラマのAD経験は1作のみ、ゴールデンタイムの連続ドラマではチーフ演出も未経験という段階での大抜擢だった。手堅い演出でこの起用に応えた本広は、同年、ハイビジョン撮影による「友子の場合」も続けて監督。さらに初のチーフ演出を任されたドラマ『踊る大捜査線』(97)と、その映画版「踊る大捜査線THE MOVIE」(98)が興行収入100億円超の大ヒットとなり、一躍スター監督の座についた。この間にベイシスを退社し、現在も所属するROBOTに移籍。以後もドラマをいくつか手がけてはいるものの、ほぼフィールドを映画に移し、エンタテインメント大作を次々と手がけていった。03年の「踊る大捜査線THE MOVIE 2/レインボーブリッジを封鎖せよ!」は、実写日本映画の歴代興収第1位となる173.5億円のメガヒットを記録。近年は故郷の香川県での映画撮影を積極的に行ない、オール香川ロケの低予算映画「サマータイムマシン・ブルース」(05)を経て、香川の名産である讃岐うどんを題材にした大作「UDON」(06)も実現させた。【映画オタク気質の娯楽作家】人気ドラマの映画化に際し、その映画版も担当するというテレビドラマ出身監督のモデルケースのように思われているが、「踊る大捜査線」以前に映画デビュー済みであったことや、民放キー局の社員演出家ではなく、バラエティ番組出身、ドラマのAD経験も深夜ドラマ1作のみ、「踊る大捜査線」がゴールデンタイムの初チーフ演出であったことなど、その履歴はテレビ出身者の中でも例外中の例外と言える。映像業界に進む前からいわゆる映画オタク的な気質を有し、過去の映画の記憶を自作に投影することを公言してはばからないリミックス世代でもある。またアニメーションにも精通し、中でも押井守からは多大な影響を受けたと本人が語っている。演劇にも造詣が深く、「サマータイムマシン・ブルース」「曲がれ!スプーン」(09)など舞台劇の映画化、小劇団の無名俳優を自作に抜擢、舞台演出も手がけるなど、演劇との親和性が高い。映画製作におけるテクノロジーの推進にも積極的で、撮影機材オタクでもある。空撮、ステディカム撮影を好み、常に新しい映像表現を追い求めつつ、観客第一主義でエンタテインメントに徹する姿勢はデビュー以来、常に一貫している。