【8ミリ映画から脚本家、そしてストロングタイプの監督ヘ】山梨県甲府市の生まれ。駒沢大学文学部に在学中から、シネマプロデュース研究会で自主映画を撮り始め、1983年に8ミリの第1作「エリザベスリードの追憶」を完成させる。85年の第3作「みどり女」がPFF86に入選。同作を強く推した審査員のひとり、長谷川和彦に師事し、ディレクターズ・カンパニーでシナリオ修業を始めた。87年の「雲が聴いた」で8ミリ製作は終え、その間に大学を中退。長谷川の勧めで本格的にシナリオを書くようになるが、脚本家よりも現場に参加したいと考え、森﨑東、平山秀幸、相米慎二、細野辰興らの作品で助監督をつとめる。ひとりの監督だけだと、その影響との戦いになるからという理由で、ひとりの監督には2回つかないと決め、10数本に参加。その傍ら、長谷川の『禁煙法時代』『吉里吉里人』『連合赤軍』などの脚本づくりにも加わるが、いずれも映画化は実現しなかった。94年、細野辰興の「大阪極道戦争・しのいだれ」(94)で脚本家としてデビュー。以後「シャブ極道」(96)、「恋極道」(97)、「少女」「笑う蛙」(02)、「新・仁義なき戦い/謀殺」「T.R.Y.」(03)など多数の映画脚本を手がけつつ、自らの監督デビューの機会を模索し続けたが、ようやく念願が叶ったのは2004年のことだった。刑事と泥棒の間に芽生える奇妙な友情を描いた監督デビュー作「油断大敵」で、藤本賞新人賞とヨハマ映画祭新人監督賞を受賞。「久々の大型新人登場」と高く評価された。続く監督第2作「フライ,ダディ,フライ」(05)では、メジャー系作品でも通用する演出力を証明。脚本家として「るにん」(05)、「クライマーズ・ハイ」「築地魚河岸三代目」(08)などの脚本を手がける一方、エンタテインメント大作「ミッドナイト・イーグル」(07)、青春ドラマの「ラブファイト」(08)、医療制度の深部をえぐる「孤高のメス」(10)と、多彩な作品群を監督している。【理想を追い求めた遅咲きのデビュー】80年代中盤の自主映画ムーブメントの中で注目された作り手だったが、PFFのスカラシップを獲得できなかったため即商業映画デビューとは繋がらず、審査員のひとりだった長谷川和彦に誘われて、ディレカン周辺で脚本修業と助監督を経験。ディレカン解散後も脚本家として自ら活路を切り開き、それでも映画監督をあきらめなかった結果、遅咲きのデビューを果たす。脚本作を含めエンタテインメントから渋めの人間ドラマまで柔軟にこなすが、監督作では特に「油断大敵」の評価が高く、人物の情熱を柔らかに抽出する軽妙洒脱なタッチに特徴がある。その作品歴で特徴的なのは、脚本家としても成功していながら、「油断大敵」以降、すべての監督作品の脚本を自身では執筆していないことだ。これは「脚本づくりも演出するのが監督の仕事」という成島の戦略であり、その都度、異なる脚本家と組むことでアプローチを変え、作品が自分でも思いもつかないかたちになることを待望しているからだという。作品傾向では監督第2作以降、活劇志向に移ったと思わせたが、「孤高のメス」で再び静かな情熱を捉える人間ドラマに立ち返った。