【情念の恐怖を演出し、日本からハリウッド、世界へと】岡山県浅口郡金光町(現・浅口市)の生まれ。1980年、東京大学理科I類に入学。留年時に進路変更して教養学部アジア学科へ進みジャーナリストを志すが、蓮實重彦の映画ゼミに影響を受けて、篠田正浩の表現社で助監督見習いを経験している。85年、にっかつ撮影所に入社。小沼勝のロマンポルノをはじめ、那須博之、澤井信一郎、崔洋一らの一般作の助監督をつとめてキャリアを積んだ。92年、テレビドラマ『本当にあった怖い話』の3エピソードで監督デビュー。同年、文化庁芸術家在外研修員として渡英し、ジョセフ・ロージーの軌跡を追ったドキュメンタリー映画に着手する。95年に資金調達のため帰国し、東映Vシネマで『女教師日記・禁じられた性』を監督。WOWOWで製作した「女優霊」は96年に劇場公開され、これが出世作となった。98年の「リング」は大ヒットののちシリーズ化され、第2作も監督。ホラー映画ブームを生み出した和製ホラーの雄と見なされる。一方で「ジョセフ・ロージー/四つの名を持つ男」(98)ほかの記録映画を間欠的に手がけつつ、和製ホラーの数々や、手塚治虫原作の思春期メロドラマ「ガラスの脳」(99)、狂言誘拐スリラー「カオス」(00)、ヒットコミック映画のスピンオフ「L/changetheWorLd」などを監督。2002年の「仄暗い水の底から」はのちに米国で「ダーク・ウォーター」(05)としてリメイクされ、05年には「リング」米国リメイク版の第2弾「ザ・リング2」を自ら手がけ、正式にハリウッド進出を果たした日本人監督のひとりとなる。10年には、イギリス資本で撮った心理サスペンス「Chatroom」がカンヌ映画祭“ある視点”部門で上映された。日本に戻っての新作スリラー「インシテミル/7日間のデス・ゲーム」も10年秋公開。【メロドラマ志向のホラー作家】撮影所で学び、撮影所外部で映画デビューを果たした、最後の撮影所世代のひとり。演出デビュー作、出世作、初の大ヒット作すべてがホラーであり、鶴田法男監督、脚本の小中千昭や高橋洋らの同世代人とともに、J・ホラーと呼ばれる現代和製ホラーのスタイルを作り上げた。和製ホラーの人気はアジア圏やアメリカにも飛び火し、その頃には黒沢清、清水崇ら上下世代と並んでホラー作家の第一人者と称される。しかし本人にはホラー専門の意識はなく、本来はメロドラマ志向であるとたびたび発言していた。そのホラー演出はショッカーの技法を採らず、怪談における正攻法の静的な描写で不安感を高め、心理的恐怖を紡ぎ出す。「リング」「仄暗い水の底から」「怪談」(07)はすべて女性の怨念を通じた恐怖譚であり、女優の演出に大方の意識を注ぐという。その意味ではホラー作家ならぬ情念の作家と呼ぶにふさわしく、映画ファンの時代から愛好したという小沼勝の特質を正しく受け継いだのであった。なおテレビ作を含めたホラーでは、写真・ビデオ・映画といった映像物を重要な小道具として用い、フレーム内フレームの映画論的探求が認められる。