【波乱万丈の映画人生を生き抜くアウトロー】大阪府東大阪市の生まれ。9歳から17歳まで新進棋士奨励会に所属。阪本順治の「どついたるねん」(89)に魅せられ、イメージフォーラムに通うため21歳で上京するが、ライター活動を経て、荒戸源次郎事務所に所属することとなった。自身の体験をもとにした阪本監督「王手」(91)の脚本で映画界にデビュー。その後、阪本の「ビリケン」(96)の脚本を執筆したほか、演劇台本や劇画原作なども手がける。1998年、ライター時代から親交の深い千原浩史を主演に抜擢した「ポルノスター」で監督デビューを果たし、日本映画監督協会新人賞ほかを受賞して注目を浴びる。01年、一度も勝てずに引退したボクサーなど4人の格闘家たちの5年間に迫ったドキュメンタリー「アンチェイン」も、各国の映画祭で評判を呼ぶ。02年、松本大洋の人気漫画を映画化した「青い春」は、若者に潜むやり場のない苛立ちや暴力性を巧みに描き、ミニシアターとしては異例のヒットを記録。続けて松田龍平を主演に、年代も生い立ちもバラバラな9人の脱獄囚たちが行き場所を求めてさすらう姿を丹念に追う「ナイン・ソウルズ」(03)では、これまで描いてきた表裏一体の生死の境を踏み越えて現状を打破しようとする人間を、“脱走”という題材に集約させた集大成として高く評価された。続く05年、角田光代の同名小説の映画化に挑んだ「空中庭園」では、“家族”という幻想にすがりつく主婦を主人公に新境地を開く。しかし、公開直前に豊田は覚醒剤取締法違反の罪で起訴され、上映規模を縮小して公開、自身も監督活動の休止を余儀なくされた。09年、地獄から這い上がり蘇る主人公に自らを重ね合わせたかのような「蘇りの血」でカムバックを果たしている。【新境地を迎えての事件、そして復活】鮮烈なバイオレンス描写に漂うユーモアセンスは、異色の経歴をもつ豊田が映画界入りするきっかけとなった阪本順治にも共通するが、初期の阪本がホームタウンの大阪を舞台に撮り続けてきたのに対し、大阪を背負い込むカミソリのような千原浩史を渋谷に解き放ったデビュー作「ポルノスター」の頃から両者の志向には違いが見られる。“異端”としての内省的な孤立感、閉塞感からの脱出、その後の再生が、強く志されるのである。豊田自身“青春3部作”と位置づける「ポルノスター」「青い春」「ナイン・ソウルズ」を経て、初の女性映画「空中庭園」で新展開を見せ、正にこれからという時期での逮捕劇は、日本映画界に少なからぬ衝撃を与えた。4年ぶりの復帰作「蘇りの血」は“死と再生”という一貫して探求し続けてきたテーマを、『小栗判官』の説話をモチーフに描いた意欲作であるが、音楽活動にも精力的な豊田の、映像による音楽の表現を模索した実験映画の趣も強い。