【返還後の香港映画界に屹立する、遅れてきた巨人】香港生まれ。1972年よりラジオ局に勤務し、74年にテレビ局TVBに入局、武侠ドラマを中心に多数のドラマを演出した。その後、主演俳優の推薦を受けて、80年の武侠映画「碧水寒山奪命金」で監督デビューを果たす。映画に専念するのは80年代半ばから。86年のコメディ・ファンタジーを皮切りにコンスタントに撮り続け、チョウ・ユンファのメロドラマ「過ぎゆく時の中で」(89)で香港アカデミー賞とされる金像奨の監督賞にノミネート。コメディ「チャウ・シンチーの熱血弁護士」(92)が興収記録を塗り替えるなど、実力派ヒットメーカーとしての地位を固める。90年からは製作業も兼ねつつ、「ワンダーガールズ/東方三侠」「マッドモンク/魔界ドラゴンファイター」(93)などの娯楽アクションを次々とヒットさせた。やがて興行成績に縛られない映画づくりを志し、香港の中国返還を控えた96年に製作会社・銀河映像を設立。一方で恋愛コメディを手がけつつ、「暗戦/デッドエンド」(99)、「フルタイム・キラー」(01)など作家性の強いノワール系アクション映画を連打する。99年の「ザ・ミッション/非情の掟」は香港金像奨監督賞を獲得、以後も同賞の常連作家として「PTU」(03)や黒社会ものの「エレクション」(05)でも監督賞を受賞した。近年では意欲作が連続して国際映画祭に招待され、「エレクション」「エグザイル/絆」(06)、「マッド探偵」(07)、「スリ」(08)、「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」(09)は三大映画祭のコンペに出品、国際的な注目を集めている。【ネオノワールに生きる】70年代末から80年代前半の香港映画では、海外で映画を学びテレビ界から転身した“香港ニューウェーヴ”と呼ばれる新世代が台頭する。ジョニー・トーも、アン・ホイやツイ・ハークらに続くこの世代だが、評価を得るのはやや遅れた第二世代の台頭期であり、商業主義作品を主としたこともあって、映画作家としては無名の存在だった。しかし香港の中国返還によりジョン・ウーなど代表的作家が海外へ流出すると、その跡を継ぐかのごとく作家色を前面に出し、特に香港ノワールの分野で目覚ましい成果を残していく。一方では、盟友ワイ・カーファイとの共同監督「ターンレフト・ターンライト」「マッスルモンク」(03)ほかの恋愛映画や商業的活劇によって、興行力に乏しい作家映画づくりのための資本を稼ぐといった製作のバランス感も発揮。その研ぎ澄まされた様式的映像で綴られるのは、「ザ・ミッション」「PTU」「エグザイル」に特に顕著な、立場を超えた男たちの友情・絆であり、アクションの美学である。これに前述の商業作品に見られた“運命の強制力”を併せ考えると、トー作品全般のモチーフとなっているのはアジア的な“業”の世界と言えよう。