京都府京都市の生まれ。実家は撮影所がある京都の太秦にあり、父親が大映京都撮影所で働いていた縁もあって、子供の頃から、森一生監督「刑事部屋」56、清水宏監督「霧の音」56、吉村公三郎監督「大阪物語」57などの映画に出演。1962年に府立嵯峨野高校を卒業後、俳優座養成所に14期生として入所する。65年3月に養成所を卒業、同期の佐藤信、吉田日出子らとともに劇団自由劇場を結成し、アングラ演劇界で活躍する。68年に佐藤とともに設立した前衛劇団“黒色テント劇団”を経て、劇団青俳に所属。この頃から、大島渚監督「日本春歌考」67、森谷司郎監督「兄貴の恋人」68などに出演するようになる。中でも、68年の「宵闇せまれば」で組んだ実相寺昭雄監督とは相性が良く、その後も「曼陀羅」71、「悪徳の栄え」88など、たびたび起用された。やがて活躍の場は広がり、市川崑監督「病院坂の首縊りの家」79、黒澤明監督「影武者」80、澤井信一郎監督「Wの悲劇」84などの大作・話題作にも起用される一方、浦山桐郎監督のロマンポルノ「暗室」83では、原作者・吉行淳之介の分身とも言える主人公を演じた。テレビドラマでは、71年の『春の坂道』以降のNHK大河ドラマに数多く出演し、ほかにもフジテレビ『ひとつ屋根の下』93・97、『この世の果て』94、日本テレビ『出逢った頃の君でいて』94、『ギンザの恋』02、TBS『昔の男』01、『メモリー・オブ・ラブ』04などで、悪役から個性的な脇役まで幅広く演じている。子供向けの特撮番組にもしばしば出演し、テレビ朝日『超新星フラッシュマン』86に敵組織のボス役でレギュラー出演したほか、TBS『ウルトラマンダイナ』97の実相寺演出回などで、重厚な渋い演技で作品に風格を加える。OV、舞台出演も多数。67年に結婚し、一女をもうけたが77年に離婚。79年に女優の大谷直子と再婚し、のちに離婚している。