3歳で子役デビュー。“Red Haired Alibi”(1932)、「最後の一人迄」(1933)などに端役出演後、1934年短編シリーズ“Floric of Youth”の一編“Pardon My Pups”に主演。この演技に注目した作曲家ジェイ・ゴーニーに「歓呼の嵐」(34)のオーディションを受けるよう勧められて出演する。この作品で一躍スターとなり、1935年に6歳でアカデミー賞の特別賞を受賞した。1949年の“A Kiss for Corliss”の出演を最後に1950年に俳優を引退。1960年代からは外交官として活動。国連のアメリカ代表、各国の米国大使を歴任した。2014年2月10日死去。