【身体の傷みを通じて魂の痛みを探るニューウェーヴ作家】北海道帯広市出身。少年時代より映画を好み、家族がビデオカメラを購入したことを機に映像制作を始め、帯広柏葉高校在学中に短編数本を監督。さらに本格的に映画を学ぶため、大阪芸術大学芸術学部映像学科に進む。卒業制作用に提出した脚本は、連合赤軍リンチを題材とした過激な内容に、指導教授の中島貞夫をして本当にやるのかと驚嘆せしめたという。その予見通り、1997年に完成した16ミリ「鬼畜大宴会」はPFFアワード97の審査員を沸かせ準グランプリを獲得。話題を呼んだ本作は、次席の作品ながら35ミリブローアップ版が翌98年に劇場公開されることにもなった。「鬼畜大宴会」はベルリンなど多くの映画祭を回り、タオルミナ国際映画祭ではグランプリを受賞。続いてPFFスカラシップを獲得し、2001年、前作とは趣を変え若い女と出会った30男の再生を描く「空の穴」を監督する。初の商業作「アンテナ」(04)、新鋭監督の企画もの「揮発性の女」(04)、野球青年がバット強盗に脱線していく「青春☆金属バット」(06)、仇討ち法が施行される近未来アクション「フリージア」(07)などコンスタントに意欲作は続き、その多くが原作ものであり、およそで大阪芸大の同級生・宇治田隆史と共同で脚本を書いている。08年、やはり宇治田脚本によるオリジナルの「ノン子36歳(家事手伝い)」を発表。この時点での集大成的な観のある同作は、『映画芸術』誌でベスト・ワンに選出されるなどの高い評価を受けた。10年公開の「海炭市叙景」は函館ロケの地方発信映画で、地元から依頼を受けての取り組みであった。【痛みを超えて再生を目指す】90年代PFF出身監督のひとりであり、実質的には卒業制作の持つ衝撃力がそのまま作家生活につながる点で、70年代ニューウェーヴ・石井聰亙の再来を思わせよう。「鬼畜大宴会」周辺の関係者とはその後も共闘が続き、前述の宇治田や山下敦弘、本多隆一といった映画人を輩出する大阪芸大グループの先陣を切るかたちにもなった。「鬼畜大宴会」にあらわな、タガの外れる暴力は熊切作品の特性とみられ、「青春☆金属バット」では凶器に転じてしまう素振りバット、「フリージア」では復讐鬼と化す仇討ち代理人として再見できる。しかしこれは怒りや情念の噴出に限定されず、「空の穴」の鬱屈や、「アンテナ」の自傷癖とSMプレイのように、自らを痛める行為の果てに自己再生を希求した精神的試練でもあった。身体を通じて自己否定を施し、その痛みのなかから再生を果たす。この構造を、30代女の女性映画として普遍化させたのが「ノン子36歳(家事手伝い)」。過剰な設定を採らず、等身大のドラマのなかに作家性を織り込ませ得た熊切は、作家映画の成熟を目指し今も歩き続けている。