【N.Y.インディーズ派の先駆者】アメリカ、ニューヨーク市生まれ。コルゲート大学在学中に俳優を志し、卒業後はアメリカ演劇アカデミーに進んで、1953年から地方劇団で俳優としてスタートを切った。54年、グレゴリー・ラトフ監督の“Taxi”で映画デビュー。この年、演劇アカデミー時代に知り合った女優のジーナ・ローランズと結婚している。56年のドン・シーゲル監督「暴力の季節」で注目を集め、クセの強い役柄を次々とこなして俳優としての名声を高めていった。ジーナと共演したテレビシリーズ『ジョニー・スタッカート』(59)の主演も成功し、ここで自ら演出も手がけたことがのちの監督進出に.がっていく。59年、低予算映画「アメリカの影」を初監督。ハーレムに16ミリカメラを持ち込んで行った即興演出が、従来のハリウッド映画にはなかった新鮮さとして評価され、ニューヨーク派の先駆者となった。以後も性格俳優として活躍する一方で、個人的な映画作りを継続。5万ドルの予算で製作した68年の「フェイシズ」は、それ以前に出演した「特攻大作戦」や「ローズマリーの赤ちゃん」のギャラを元手にしたという。また、ほとんどの作品で夫人のジーナ・ローランズが主演を務め、カサヴェテス自身も出演を兼ねる場合が多い。ハリウッドのスタジオシステムに背を向けたこうした低予算の手作り感は、のちのニューヨーク・インディーズ派の若手監督たちにも大きな影響を与えた。【国際映画祭でも多数受賞】74年の「こわれゆく女」ではアカデミー賞監督賞にノミネート。その後も「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」(76)、「オープニング・ナイト」(77)などインディペンデントでの映画作りが続いたが、80年の「グロリア」はジーナを主演にハリウッドメジャーの一つコロンビア映画で監督した作品で、一家惨殺事件の生き残りの少年と、ふとしたきっかけで彼と一緒に組織に追われることになってしまった女性の逃避行をハードボイルドタッチで描いた。これがヴェネチア映画祭金獅子を受賞するなど、商業映画の枠組みでも傑作が撮れることを見事に証明してみせた。続く「ラヴ・ストリームス」(84)ではベルリン映画祭のグランプリと国際批評家連盟賞をダブル受賞。しかし、86年の「ビッグ・トラブル」を最後に、89年2月、肝硬変のため死去した。長男のニックは俳優として「マスク」、「処刑ライダー」などに出演したのち、ジーナ主演の「ミルドレッド」(96)で監督デビュー。カサヴェテスが遺した脚本をもとにショーン・ペン主演で撮った第2作「シーズ・ソー・ラブリー」(97)が評判となった。また次女のゾエも2008年に「ブロークン・イングリッシュ」で監督デビューしている。