アメリカ・ミネソタ州生まれ。29年にふたりの姉と共に“ガム・シスターズ”として歌手デビューし、35年、MGMと契約。39年「オズの魔法使」で大ブレイクするとともにアカデミー子役賞を受賞し、以降「若草の頃」(44)「イースター・パレード」(48)などMGMミュージカル大作に次々と主演するが、ハード・ワークから来る神経症と薬物中毒が深刻化し、50年にはMGMを解雇。54年「スタア誕生」でアカデミー賞主演女優賞候補に、61年「ニュールンベルグ裁判」では同賞助演女優賞候補となるが、神経症と薬物中毒は悪化し、69年6月22日に睡眠薬の過剰摂取で死去した。女優のライザ・ミネリとローナ・ラフトは実子。