【ドイツで成功を収め、世界へと飛翔した新世代の俊英】ドイツ、ヴッパータールの生まれ。11歳で8ミリカメラを手にする。80年以降はいくつもの独立系名画座で映写技師をつとめ、ベルリンにある名画座の番組編成を手がけた。短編製作を経て初めて監督した長編映画「マリアの受難」(93)が世界中の映画祭で上映され注目を浴びる。監督第2作としてサスペンス「ウィンタースリーパー」(97)を手がけたが、翌98年の「ラン・ローラ・ラン」がその年のドイツ映画最大のヒットとなるとともに世界中で幅広く受け入れられ、30以上の賞を与えられた。続く「プリンセス・アンド・ザ・ウォリアー」(00)でも、「ラン・ローラ・ラン」に主演したフランカ・ポテンテをヒロインに起用。公私にわたるパートナーとしての時期を過ごした。2002年に監督した初の英語映画「ヘヴン」は、巨匠クシシュトフ・キェシロフスキの遺稿を映画化したもの。続いてオムニバス「パリ、ジュテーム」(06)の一編に参加。「10分間に凝縮した、ぼくの人生のすべて」と自ら呼ぶ作品を仕上げた。その後、4年間に渡って関わり続けていた「パフューム・ある人殺しの物語」(06)を完成させる。ドイツ映画としては史上最高額の製作費が投じられたこの作品が世界中で興行的に成功したことで、ティクヴァはハリウッドに招かれ、クライヴ・オーウェンとナオミ・ワッツが主演する大作サスペンス映画「ザ・バンク/落ちた巨像」(09)を監督することとなった。東西再統一の時期が映画産業の谷底となったドイツで90年代に登場、ヴィム・ヴェンダース以後の新時代を率いていく新生ドイツ映画作家の騎手。「グッバイ、レーニン」(03)のヴォルフガング・ベッカーらと94年に設立した製作会社を拠点とした。【“インターネショナル”な映画作り】ティクヴァの特徴は国際的な普遍性を持つ映像感覚にある。「ラン・ローラ・ラン」ではヒロインが疾走し、フィルム、ビデオ、モノクロ、カラー、アニメ等、あらゆる技術を駆使して映像そのものも疾走する。「パフューム」は世界市場を意識してダスティン・ホフマンらアメリカの大物俳優も起用された作品だが、パトリック・ジュースキントのベストセラー小説を、原作のグロテスクな趣向を忠実に映像化しつつ手際よくまとめ、テンポの良い大衆的な作品にまとめている。だが、完全にハリウッド的手法に偏ることはなく、ヨーロッパ的な風雅も作品の色調に現れている。同じことは「ザ・バンク」にも言え、“The International”という原題通り世界中でロケされたこの作品でも、美術館での銃撃戦場面のように独特の流麗な映像で観客の心をつかんでしまう。この流麗さに関しては、ティクヴァがジョニー・クリメック、ラインホルト・ハイルと結成したグループ“Pale3”がティクヴァ作品のほとんどの音楽を手がけていることも関係しているだろう。出身国であるドイツにこだわることもなく、かといってハリウッド・スタイルに染まるでもなく、世界中のロケ地、俳優を自在に駆使して、ひとつの曲を作るかのように独特のテンポとリズムを持った映像を創出し、そこに自作の音楽で染め上げた独自の世界を築いている。