【実験精神とエンターテインメントを融合させる多作家】アメリカ、ジョージア州アトランタの生まれ。祖先はスウェーデンからの移民で父は教育者。父がルイジアナの大学で働くことになったためバトン・ルージュに移住。父の勤務する大学の学生から借りた機材を使って8ミリフィルムで映画を撮り始め、映画作りの面白さに目覚める。15歳の頃からルイジアナ州立大学のアニメーション・クラスを受講し、16ミリで映画を製作するようになった。高校卒業後はルイジアナ州立大に進学して映画作りの勉強を続けることはせず、実体験から学ぼうとハリウッドに向かう。さまざまな半端仕事を続けたが、1985年にロックバンド“イエス”のコンサートビデオを監督し、これがグラミー賞を受賞したことから注目を浴びた。バトン・ルージュに戻ったソダーバーグは「セックスと嘘とビデオテープ」の着想を得て、8日間で脚本を書き上げ、低予算で完成させる。この作品が89年にカンヌ映画祭でパルムドールを受賞し、一躍時の人となったが、その後に監督した「KAFKA/迷宮の悪夢」(91)、「わが街・セントルイス」(93)、「蒼い記憶」(95)等の作品はいずれも興行的に失敗した。しかし、エルモア・レナードの犯罪小説を先鋭的な感覚で映画化した「アウト・オブ・サイト」(98)がヒット。一部の愛好家だけに好まれる存在から大衆映画の作り手へとポジションを変えるとともに、俳優ジョージ・クルーニーとの実り多きコラボが始まることとなった。【メタフィクションの導入】大衆作家として成功したと言っても、ソダーバーグから実験精神が失われたわけではない。「イギリスから来た男」(99)、アカデミー監督賞受賞の「トラフィック」、「エリン・ブロコビッチ」(00)などの作品でも軽妙な語り口と大胆な時間軸の解体などを両立させ、復讐劇、麻薬ドラマ、弁護士ものなどの各ジャンルに新風を吹き込んでいる。その後も「オーシャンズ11」シリーズ(01~07)などの大衆娯楽作品を作りつつ、その実験精神もますます強め、「フル・フロンタル」(02)では登場する俳優が役を演じているのかその俳優自身を演じているのかをあえてぼかし、日本未公開の「Bubble」(05)ではアマチュアの俳優ばかりを起用して、劇場での限定公開開始の4日後にDVDを発売した。ソダーバーグは多くの自作において、ピーター・アンドリュースの名で撮影監督も兼任。撮影技術を熟知していることが作品中での自在な実験にも貢献している。また一貫して“虚”と“真実”のテーマを扱っており、それは時にメタフィクション的な要素として大胆に作品中に現れることでも知られる。