【人間の信念と尊厳を正攻法で描く剛腕のエース】秋田県河辺郡河辺町(現・秋田市)の生まれ。日本大学芸術学部放送学科を卒業後、TBS系の制作会社“テレパック”に入社。ADを経て『思春期の妻たち』(84)などのテレビドラマを演出したのち、1986年、フジテレビ系の共同テレビジョンへ移籍する。局制作が少なかったフジテレビの中でテレパック時代のノウハウを生かし、『あまえないでヨ!』『ラジオびんびん物語』(88)、『この胸のときめきを』(89)、『パパ!かっこつかないぜ』(90)、『しゃぼん玉』(91)などのヒットドラマを数多く手がけた。90年代は『振り返れば奴がいる』(93)、『お金がない!』(94)、『正義は勝つ』(95)など織田裕二の主演ドラマを多数演出し、その縁で2000年、織田主演のアクション大作「ホワイトアウト」で映画監督デビューを果たした。もともと映像化不可能と言われたスケールの大きな原作であり、雪山を舞台にしながら暖冬にも苦しめられた末に完成。日本映画には珍しい本格的エンタテインメントとして大ヒットを記録した。その波に乗って一気に映画監督へ転身―というわけではなく、以後も『やまとなでしこ』(00)、『反乱のボヤージュ』(01)、『恋ノチカラ』『真夜中の雨』(02)、『熟年離婚』(05)などテレビ界で順調にキャリアを重ねているのは、共同テレビのエグゼクティブディレクターという自らの立ち位置ゆえか。映画の第2作「子宮の記憶・ここにあなたがいる」(07)は、登場人物の心理を掘り下げた小品であり佳作だったが、第3作「沈まぬ太陽」(09)では再び巨大プロジェクトに挑んだ。何度も映画化が企画されながらいずれも頓挫していた山崎豊子のベストセラー小説を原作に、3時間22分の大作として映像化を実現。イランやケニアでの過酷な海外ロケーションを含め、錚々たるスタッフ・キャストを束ねる力量を発揮した。同作はキネマ旬報ベスト・テン第5位にランクイン、報知映画賞と日本アカデミー賞の最優秀作品賞も獲得している。【テレビと映画で培われた力強い演出】80年代から90年代にかけて日本のテレビドラマ界を牽引した名ディレクターのひとり。2000年代に急増したテレビ出身監督にも数えられるが、テレビドラマの映画版によるデビューではなく、「ホワイトアウト」は映画プロデューサーからの抜擢を受けての登板、「沈まぬ太陽」では自主的に監督立候補した結果で、むしろ異業種監督の系譜で捉えるのが妥当であろう。ドラマ時代から軽喜劇を得意としつつも、時折シリアスで重厚なテーマの作品もさらっとこなす的確な演出力を発揮。映画に出かけてもスケールの大きな物語を破綻なくまとめ上げる強靱な力は、テレビと映画を往還しつつ、どちらにも誠実に対応することで培われたものだ。特に映画作品では、そつのない現場指揮に徹するよりは人間ドラマの創出にこだわりを見せ、これが「ホワイトアウト」「沈まぬ太陽」の興行的成功の一因となっている。