【一気にベスト・ワン監督へ昇りつめた早咲きの実力派】新潟県生まれ。新潟朝鮮初中級学校の教師をしていた父を持つ在日コリアン三世で、4歳の時に横浜に移り住み、小学校から高校まで横浜の朝鮮学校に通った。神奈川大学在学中にプロデューサーの李鳳宇の紹介でOVの現場についたのをきっかけに、大学卒業後、日本映画学校に入学。自身の体験が色濃く反映された1999年の卒業制作作品「青/chong」が、PFFアワード2000でグランプリのほか4部門を独占、ロッテルダムや釜山の映画祭に招待されたのち、2001年には劇場公開もされた。助監督経験などを経て、02年のPFFスカラシップ作品「BORDER LINE」も評判を呼ぶ。この長篇デビュー作が、村上龍の小説『69』の映画化企画を温めていた伊地智啓プロデューサーの目に留まり、すでに宮藤官九郎に脚本を依頼していた「69/sixtynine」(04)の監督に抜擢される。李はこれを初のメジャー作品というプレッシャーを感じさせない軽妙な青春映画に仕上げ、好評を得た。翌05年、「青/chong」の頃から才能に注目してきた佐々木史朗プロデューサーに声をかけられ、李自身のオリジナル脚本をもとにした「スクラップ・ヘブン」を発表。前作からトーンを一変させ、もう若くはない現代の男性ふたりの鬱屈した怒りの発露をシニカルに見つめた。そして06年、閉鎖が迫る昭和40年の常磐炭鉱に町興しのためハワイアンセンターを作ったという実話をもとにした「フラガール」を監督。独立系のシネカノン配給ながら10億円超えの大ヒットとなり、キネマ旬報ベスト・ワン、日本アカデミー賞最優秀作品賞など数々の賞に輝く。その後、“子供”を共通のテーマに5人の監督が競作したオムニバス「みんな、はじめはコドモだった」(08)の一篇「タガタメ」を、名だたるベテランに混じって最年少で監督。10年には、吉田修一の同名小説を原作に「69」以来のタッグとなる妻夫木聡主演による「悪人」が公開された。【名プロデューサーが認める確かな才能】映画学校出身監督であり、PFFスカラシップ作品以前の段階で劇場公開を果たし、先述した李鳳宇、伊地智啓、佐々木史朗など、映画界を代表する名プロデューサーたちがその才能を認めた新鋭のひとり。監督を打診された時点ですでに脚本が存在していた「69/sixtynine」「フラガール」といったメジャー系の作品は、人間の心の闇を鋭く突く「BORDER LINE」「スクラップ・ヘブン」「タガタメ」など、内省的な志向に沿って自ら脚本を手がけた作品群とテイストを異にする。前者の設定はいずれも李が生まれる前の年代で、企画と自身との接点を柔軟に見極めることで、皮相なノスタルジーに陥ることを回避している。題材との距離感を即座に?み、自身の立ち位置を明確にしつつ、メジャー系のエンタテインメントと中規模の等身大映画とを両立。似た作品は続けて撮らない振れ幅の大きなフィルモグラフィーも持ち味である。