【激動の中国社会で個人の現実を描く“現代の魯迅”】中国、山西省汾陽(フェンヤン)の生まれ。父は高校の国語教師で、文革後の貧しさと改革開放政策による市場自由化の波を経験して育つ。省都・太原の芸術大学に入学し美術を専攻。小説も執筆する傍ら、チェン・カイコーの「黄色い大地」を在学中に見て感動、映画を志す。しばらく広告会社でデザインの仕事をしたのち、1993年、アジア最大の映画教育機関・北京電影学院へ進んだ。授業には真面目に出席して演技科目も学び、アルバイトでテレビドラマの脚本を代筆した時期もあるという。同時代の中国映画が社会の変化に目を向けない不満から、同級生らと“青年実験映画小組”を組織し、出稼ぎ労働者が主人公の中編「小山の帰郷」(96)をビデオで製作。香港インディペンデント短編映画&ビデオ賞の金賞を受賞する。学院での卒業制作は、汾陽を舞台にした「一瞬の夢」(98)。鄧小平の南巡講話を境にした急激な経済発展に取り残されるスリの青年を描く。同作はベルリン映画祭で上映され、最優秀新人監督賞を受賞。世界の映画祭で次々と主要な賞を獲得し、中国第六世代の台頭を一気に知らしめる。2000年、地方劇団の青春群像を通して80年代の中国の変化を描いた「プラットホーム」が、ヴェネチア映画祭で最優秀アジア映画賞を獲得。同作より日本のオフィス北野ほか外国資本の協力を得るようになる。01年、韓国全州国際映画祭の委嘱で短編オムニバス・ドキュメンタリー「三人三色」に参加。初めてデジタルビデオカメラでの撮影を経験した。「青の稲妻」(02)では地方都市の若者の焦燥の日々を描き、「一瞬の夢」「プラットホーム」と合わせて“故郷3部作”と自ら命名。04年の「世界」が初めて中国国内での一般公開を認められる。以降も「長江哀歌」(06)、「四川のうた」(08)、10年のカンヌ映画祭に出品された新作「海上傳奇」を発表。並行して中短編も手がけている。【インディースから中国を代表する存在へ】「鬼が来た!」(00)のチアン・ウェン、「ルアンの歌」(98)のワン・シャオシュアイ、「天安門、恋人たち」(06)のロウ・イエなどに並び、60年代以降に生まれ90年代に頭角を現した“中国第六世代”を代表するひとり。同世代監督と同様に既存の体制から距離を置き、当局の検閲を通さない(アンダーグラウンドの)インディペンデントで活動をスタートさせ、早くから海外の投資を積極的に受け入れてきた。政治が生活と密接に影響する中国社会の現実と、そこに生きる個人の存在に描くべき価値を置き、“現代の魯迅”と称される。また、ジャンクーが世界に紹介された際、『カイエ・デュ・シネマ』誌は「中国映画の運命はこの青年の両肩にかかっている」とも評した。ノンプロ俳優の重用、長回しの凝視といった初期のスタイルから、「世界」以降は表現の幅を広げ、時代の変化の記録者となる姿勢を打ち出している。大作主義に移行した第五世代の監督たちをインディペンデントの立場から鋭く批判してきたが、今や自身も中国映画の文化的価値を守り、リードする公的な存在。常に個人と体制の折り合いが重要なテーマだったジャンクーの次の歩みを、世界中が注視している。