【2000年代のカンヌ映画祭を席巻するヨーロッパの鬼才】ドイツ、ミュンヘンの生まれ。父は俳優兼監督のフリッツ・ハネケ、母は女優のベアトリクス・フォン・デーゲンシルト。第二次世界大戦後、家族でオーストリアへ移住し、ウィーン大学で心理学・哲学・演劇を学ぶ。卒業後は映画批評家となるも、25歳の時にドイツへ帰国。国営放送で4年間プロデューサーとして働いたのち、フリーランスでテレビの脚本・編集・監督の仕事をしながら、並行して舞台の演出を手がけた。47歳の時に監督したテレビ用映画「セブンス・コンチネント」(89)が、テレビ局より放映を拒否され劇場公開。これが長編映画デビュー作となり、続く暴力と疎外をテーマにした「ベニーズ・ビデオ」(92)、「71フラグメンツ」(94)と併せて“感情の氷河化3部作”と呼ばれる。ハネケ映画の特徴である説明を排した演出スタイルと即物的な暴力描写は、この時点から確立された。ハネケの名を国際的にしたのは、2001年の「ピアニスト」。中年女性の性愛をテーマとしたハネケにとって初の恋愛映画であり、カンヌ映画祭グランプリと主演男女優賞の三冠を獲得。以降も「隠された記憶」(05)で同映画祭の監督賞を、「白いリボン」(09)で同じくパルムドールを受賞し、2000年代のカンヌ映画祭を代表する存在となる。その他、テレビ用映画の「カフカの『城』」(97)と自作リメイクの「ファニーゲームU.S.A.」(08)を除くすべての作品が国際的な映画祭で受賞している。オーストリアとフランスを活動の拠点とし、自身の作品「ファニーゲーム」(97)のアメリカ・リメイクに際しても、オリジナル版とまったく同じ展開、ショット、演出で、ハリウッドでも自らのやり方を通した。【現代社会を冷徹に描写】オーストリアなどヨーロッパを拠点に、21世紀に入って急速に巨匠化した映画監督のひとり。「自分の映画は娯楽ではない」と公言し、演出にも独自の個性を発揮する。出来事の断片を積み重ねるように物語を構成して、作り手からの明快な解答は出さず、観客に解釈を委ねるのが大きな特徴で、「ピアニスト」や「隠された記憶」のラストシーンがその好例。「ベニーズ・ビデオ」「71フラグメンツ」ではメディアと暴力の関係を探り、「コード・アンノウン」(00)では社会のシステムに組み込まれた暴力性を提示。ジャンル映画のパロディでありながら、暴力そのものを追求した「ファニーゲーム」、人間の尽きない欲望を寓話的設定に描いた「タイム・オブ・ザ・ウルフ」(03)など、現代社会に潜む危うさと暴力、そしてディスコミュニケーションを一貫した主題として描き続けている。冷徹な視線で登場人物を見つめ、観客が容易に感情移入するのを避ける作りをしているため、観客を選ぶ監督ともいえる。