【世界の不寛容にメッセージをぶつけるメキシコの奇才】メキシコ、メキシコ・シティの生まれ。最初のキャリアはラジオ局のDJ。番組の演出や製作にも手を拡げ、数本の映画の作曲も担当する多才ぶりを見せる。20代でメキシコ最大のテレビ・ネットワーク、テレビザのクリエイティヴ・ディレクターに転身するが、間もなく自身のプロダクションを設立。CMや番組を演出しながら短編「ElTimbre」(96)を発表する。この間、アメリカで映画製作について学んだ。2000年、脚本家のギジェルモ・アリアガと3年間話し合った末に、30回以上の改稿を重ねて3つのストーリーが交差する脚本を完成、PV的なスピードの映像処理と暴力描写に満ちた「アモーレス・ペロス」を監督する。この長編デビュー作でカンヌ映画祭の批評家週間グランプリ、東京国際映画祭ではグランプリと監督賞をダブル受賞するなど世界各国60以上の映画賞を獲得して、瞬く間にメキシコ映画界を代表する存在となった。BMWのプロモーション短編「PowderKeg」(01)を手がけたのち、9.11がモチーフ、11分9秒1フレームが条件のフランス製作オムニバス「11.09”01/セプテンバー11」(02)に世界の巨匠とともに参加。ショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロらハリウッド・スターが主演を熱望したアメリカ資本の長編第2作「21グラム」(03)ではさらに高い評価を集めた。ロドリゴ・ガルシア監督「美しい人」(05)をプロデュースしたのち、世界各地でロケを敢行した「バベル」(06)を発表。東京が重要な舞台のひとつとなり、聾唖の女子高生役を演じた菊地凜子がアカデミー助演女優賞にノミネートされたことで日本でも大きな話題を集めた。同作でメキシコ人初となるカンヌ映画祭監督賞を受賞。10年の同映画祭に出品された新作「Biutiful」では、主演のハビエル・バルデムが男優賞を受賞した。【グローバルな視点の作風】50年代に国際的作家を輩出するようになったメキシコ映画では、ブニュエルが牽引した60年代に“新しい映画”の波が興り、70年代にアレハンドロ・ホドロフスキーが代表する次の山場を迎えた。その後90年代の新政権によって開放政策が実施されると、またあらたに新世代の一群が登場。イニャリトゥも、アルフォンソ・アラウ、アルフォンソ・キュアロンなどに並ぶこの“新しいメキシコ映画”作家のひとりである。「アモーレス・ペロス」公開当初の世評は、時制操作の作劇法の点から、タランティーノ・フォロワーのメキシコ代表とみられる大雑把なものだった。しかしまもなく、新潮流の影響を契機にオリジナルの才能と創造の野心を覚醒させたという評価に変化。手持ちカメラの肉感的なリアリズムを駆使しながら現代におけるコミュニケーションの困難と渇望を巨視的かつ寓話的に描き続ける。皮肉な結びつきに人々が支配される運命論めいた作風は、「バベル」では和解と希望へのヴィジョンの提示へと変化してきたが、同作を最後に、作家性の構築を支えてきた脚本家アリアガとのコンビを解消。今後はどんな物語でモラルを示すのか世界中から注目されている。同世代の監督のキュアロン、ギレルモ・デル・トロと製作会社“チャ・チャ・チャ・フィルムズ”を設立。メキシコ映画界の人材育成にも動いている。